小野田寛郎さん靖國神社を語る…WiLL2005年8月号より
2014.08.25 Monday 17:27
くっくり
image[140818-04kakuei.jpg]
戦友への礼が軍国主義か
日本に帰還したときに、当時の田中内閣から百万円の「見舞金」をもらいました。全国からたくさんの見舞金もいただいた。私はこれを、靖国神社に奉納した。
国のために戦って死んだ戦友たちにせめて礼をつくそうと思ったからです。
しかし、このことは大きな批判を浴びました。記事にも書かれたし、投書も来た。「軍国主義に荷担する行為」と言い、「戦死者を慰める一番いい方法は二度と戦争をおこさないことで、寄付をするならそういうことのために使うべきだ」と言うんです。「自分で稼いだ金を寄付しろ」とも。
「寄付など貴様の気休めだ」という意見もあった。「気休め」の批判は甘んじて受けますが、これは個人の自由の問題でしょう。
しかし、私はルバング島の作戦で、多くの戦友が目の前で死んだのを見てきました。私の作った爆薬で二十数人の傷病兵が自決しました。昭和二十九年五月には一緒にいた島田庄一伍長が戦死、昭和四十七年十月、終戦から二十八年目に小塚金七一等兵もまた、私の目の前で撃ち殺されました。ふたりの戦友を、戦後になってから「戦死」させたのです。
ほかにも多くの戦友が死んだのです。
私は生き残った。
気休めにしかならないと言われても、せめて靖国に眠る戦友たちに詫びなければ、これから先、生きていけないと思いました。
私は、勝手に三十年間戦った訳ではありません。任務解除の命令が届かなかったからですが、政府から補償はもらえません。とにかく働いて生きていく糧を得なくてはならない。そのためには、どうしても、心のけじめのようなものが必要でした。「気休め」「自分勝手」と言われても、そうせずにはいられなかったのです。
それが、「軍国主義に荷担する行為」だそうです。国のために戦死したものたちは、死んだら神様なんです。
image[140818-05heisi.jpg]
[7] << [9] >>
comments (5)
trackbacks (1)
<< 朝日の英語版慰安婦検証記事は人目につかない場所に埋めてある
「アンカー」敗戦後の日本外交が大転換へ!プーチンを誘う安倍総理の賭け&安倍総理と石破氏の違いは国家観と歴史観 >>
[0] [top]