小野田寛郎さん靖國神社を語る…WiLL2005年8月号より
2014.08.25 Monday 17:27
くっくり
追悼 小野田寛郎 ルバング島から帰国して30年 わが心の靖国神社
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私は、靖国神社に一度祀られた人間です。最初の戦死公報は昭和二十年九月、二十五年に一度取り消されますが、二十九年に再び戦死とされ、四十九年に作戦命令解除の口達を受けて帰還するまでの二十五年間は、戸籍上死んでいたわけです。
十五年間、靖国神社に入っていたことになる。
最近は、年に三カ月はブラジル、九ヶ月は日本という生活ですが、日本に戻ったときは、八月十五日、必ず靖国神社にお参りをしています。
靖国神社の参拝について、今大きな問題になっていることについては、まったくばからしい、と思っている。
そもそも、おかしくなったのは、昭和六十一年、中曽根首相の参拝取り止め以後です。
小泉首相のやり方も拙劣でした。八月十五日に参拝すると言っておきながら、十三日にしてしまった。
首相になる前に、八月十五日に参拝する、と言い、それで首相に選ばれたのだから、これは国民との公約です、「自分の信条だ」と明言して、その通り参拝すればいい。中国などに対しても、「自分は参拝することを国民に約束して首相になったのだから、国民相手にウソは言えない。だから八月十五日に参拝する」と言えばよかったのです。
「私の参拝は日本国民の総意だ」と明言しておけば、中国は、日本国民全体を相手に文句を言わなくてはならないことになる。相手が首相個人、日本政府だと思うから、中国は文句を言い易い。日本国民全体を相手にして文句なんか言えるはずがありませんよ。
まあ、行かないよりはましではあるけれど、小泉首相は、やりかたがヘタすぎると思います。結局、腰がすわっていない。
中国に、弱味を見せるとろくなことはありません。中国人のやることは戦前から変わっていませんよ。「反日デモ」など、支那事変(日中戦争)前の、排日運動とまったく同じです。
抗日運動、日貨排斥運動(日本製品のボイコット運動)……結局あのときは戦争になったけれど、そもそもは幣原喜重郎外相の「軟弱外交」がいけなかったんです。
(米英協調、中国内政不干渉、国際連盟中心主義などを柱とする国際協調外交)。
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