15周年です。1999年を振り返ってみました。
2014.06.28 Saturday 01:43
くっくり
朝日新聞をはじめとする反日メディアがネガティブキャンペーンをくり広げたものでした。
昨年、特定秘密保護法で大騒ぎした時とそっくりです(T_T)
きっと今、多くの人が「『盗聴法』とか言って何をあんなに騒いでたんだろう?」と不思議に思っているでしょう。
いや、通信傍受法の存在自体もう忘れてしまっているかも。
特定秘密保護法もやがて同じような道筋をたどるのではないでしょうか。
思えば反日勢力は、自衛隊のイラク派遣の時も、防衛庁の防衛省昇格の時も大騒ぎしましたが、彼らの「心配」は全て回避されています。
今年は集団的自衛権の行使容認をめぐって、また大騒ぎです。
が、現在は最終局面を迎えていて、7月1日にも閣議決定される流れに。
公明党がギリギリまで粘りましたが、まあ最終的に折れてくることは予想はできましたよね。
政権与党の旨味を手放すわけがありませんから。
その自民党と公明党の連立が始まったのが、やはり1999年の10月5日でした。
以降、公明党とずっと組んでる自民党。
「ぼやきくっくり」が終わる前に両党の“離縁”は叶うのかしら?(^_^;
でも、こうやって見ると、小渕さんもけっこういい仕事してたんですね。
国旗国歌法や周辺事態法や通信傍受法など重大法案を次々通してるし、能登半島沖不審船事件では初の「海上警備行動」の発令を承認しています。
それだけに公明党と組んでしまったことが悔やまれます。
当時の政治情勢では仕方なかったのでしょうが……。
小渕さんが亡くなったのは2000年5月14日。
首相在任期間は、1998年7月30日から2000年4月5日まででした。
脳梗塞で倒れたのが4月2日。
昏睡状態にあった4月5日、青木首相臨時代理が小渕内閣の総辞職を決定しました。
森喜朗さんが後任首相に選ばれましたが、経緯に多くの謎があり、当時大きく批判されたものでした。
もし小渕さんがご存命だったら、日本の政治はどうなっていたでしょう?
見てみたいような、見たくないような……(^^ゞ
この15年間で、日本を取り巻く国際情勢も大きく変化しました。
北朝鮮は事実上の核保有国となり、支那は尖閣諸島奪取に向け着々と布石を打ってきています。
いつ何が起きてもおかしくありません。
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