教科書展示会に行ってきました(小6社会)

2014.06.23 Monday 17:28
くっくり



 「外国では、……報道されました」という記述は一歩引いたように見えますが、その後の「多くの日本人がこのことを知ったのは……」という書き方では、南京で「虐殺」があったと断定しているのと同じことではないでしょうか。

 「日本軍に占領された中国の人たちは、どんな気持ちだったのだろう」って、こんな気持ちだったんじゃないですか?

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[カメラマン佐藤振寿氏が南京占領の2日後の昭和12(1937)年12月15日、南京安全区にて撮影した写真。佐藤氏曰く「中国人は日本人カメラマンが行くと、積極的に子供をかかえて撮影に協力してくれる。日本兵や日本人を恐れていなかった」]

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[昭和12(1937)年12月17日撮影/「支那事変画報」大阪毎日・東京日日特派員撮影、第15集より/わが軍から菓子や煙草の配給を受け喜んで日本軍の万歳を叫ぶ南京の避難民/撮影者、佐藤振壽(毎日新聞カメラマン)/ソースURL

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[昭和12(1937)年12月20日 南京住宅街にて撮影/「支那事変写真全集(中)」と朝日新聞昭和12年12月25日より/支那事変写真全集(中)上海戦線 南京陥落後旬日(じゅんじつ)にして、早くも平和の曙光に恵まれた市中では、皇軍将士と共に玩具をもてあそんでたわむれる支那の子供達/撮影者、朝日新聞林カメラマン/ソースURL

 当時の支那の庶民には「国」という意識は希薄で、生活や治安を良くしてくれる統治者であれば、日本でも国民党でも誰でも良かったのです。

<参考資料>
11/12/17:鈴木史朗さんが「南京大虐殺」は真実ではないと思う理由
12/2/27:河村市長頑張れ&支那軍と支那人の特徴及び南京陥落前の大混乱

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