方子妃の遺志継ぐ最後の韓国人…Tweetまとめ14.04.16〜14.04.30
2014.05.03 Saturday 01:23
くっくり
1920年(大正9年)、日韓融合の象徴として、日本の皇族から、旧大韓帝国の元皇太子で日本の王公族となった李垠に嫁いだ女性です。
李方子妃の生涯については、こちらのまとめがお勧めです。
■国際派日本人養成講座>No.178 日韓の架け橋・李方子妃
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終戦後、李方子妃夫妻は皇籍離脱で王公族の地位を失い、在日韓国人となりました。
夫妻は大韓民国の初代大統領・李承晩により帰国を妨げられましたが、1963年、朴正煕大統領の計らいでようやく帰国を果たし、永住します。
方子妃はその時、62歳でした。
当時の韓国では、李承晩の12年間におよぶ排日政策と反日教育の結果、反日感情で溢れていて、方子妃も侮蔑されたりしました。
そんな中、方子妃は、当時の韓国ではまだ進んでいなかった障害児教育に尽くしました。
その方子妃を支えたのが、金寿姙(キム・スイム)さんです。
【プロフィル】1921(大正10)年、日本統治下の開城(ケソン)(現・北朝鮮)で両班(貴族階級)の裕福な家庭に生まれる。父親は金融組合に勤務。38年、ミッション系好寿敦(ホスドン)女子高等普通学校卒業。19歳で同郷の男性と結婚。41年、満州国(現・中国)へ渡る。42年、長男が誕生するが生後半年頃に髄膜炎で聴覚に障害を負う。終戦後、韓国に引き揚げる。65年、李方子妃と出会い、障害者を支援する社団法人「慈行会」や福祉法人「明暉園」などの創立理事を務めた。
■ツイッターで紹介した産経の連載「話の肖像画」【李方子妃を支えた韓国人 金寿姙】
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