半世紀の時を超えた日米の絆の物語〜アーレイ・バーク「ビーバップ!ハイヒール」より
2014.01.11 Saturday 02:12
くっくり
image[140110-19tom.JPG]
艦長の名は、トム・バーク。
そう、アーレイ・バークの孫だった。
____________________________内容紹介ここまで
白駒妃登美さんによる補足。
震災発生当日、トム・バークの乗った「ロナルド・レーガン」は本来は韓国に向かっていました。
それがその途中で震災の発生を知り、災害救助支援の指令を待たずに、彼は東北に船を向かわせました。
人道主義に則って判断したのでしょう……。
image[140110-20bark.JPG]
ご存知の方もおられるかもしれませんが、バークが親日家になった理由として、全く別の物語も存在しています。
元海軍中将の草鹿任一と知り合い、親交を持つようになったのがきっかけだったというものです。
image[140110-21kusaka.jpg]
こちらの物語の方が有名ではないでしょうか。
Wikipediaにも載っていますし、ねずさんのブログでも紹介されています。
なお、孫のトム・バーク氏のことをネットで調べてみましたら、こちらの掲示板にこんな記述を見つけました。
(前略)これからが因縁話です。
東日本大震災で,トモダチ作戦で,もっともはやく被災地に着いたのが,原子力空母ロナルド・レーガンです。
艦長は,トム・バーク海軍大佐です。
アーレイ・バーク大将の孫です。
バーク大佐は,ヘリコプターのパイロットですから,空母のことは副長に任せて,自分は救援物資を積んだヘリを操縦して,避難所を飛びまわったそうです。
このような自然災害の場合,どこでも食料の取り合いが始まり,ヘリといえども危険で着陸できないそうです。
着陸した途端,被災民が銃をぶっ放して,食料を取りに来るので,低空からの空中投下になるそうですが,東北地方は,どの避難所にはヘリが着陸しやすいように,ヘリの着陸パッドのHを書いてある。
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