2006.09.09 Saturday 03:19
くっくり
共産党の皇室観の転機となったのは、その5年後、平成16年1月の第23回党大会だ。
昭和36年の第8回党大会で採択した党の基本的文書である綱領(宮本綱領)を全面改定。天皇制について「民主主義及び人間の平等の原則と両立しない」と反対姿勢を堅持しつつも、「君主制を廃止」というそれまでの表現を削除した。天皇が「憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきもの」と明記し、天皇制との共存を容認した。
16年11月には、不破議長(当時)がデンマーク女王主催の晩餐(ばんさん)会で天皇皇后両陛下と初めて同席。12月には党職員の勤務規定を改定、天皇誕生日を休日とするなど「天皇制への対応に大きな変化がみられた」(共産党ウォッチャー)との分析がある。
共産党は、「21世紀の早い時期に民主連合政府の樹立」を目指し、保守勢力との連携も視野に入れた政治闘争の展開を模索している。皇室との間合いに神経を使わざるを得ないのは、目標達成のためには国民世論を無視できず、独善的との批判がつきまとってきた党活動のあり方を見直す必要に迫られたからだ。
ただ、共産党が社会主義社会の実現を目指す革命政党であるかぎり、皇室制度と本質的なところでは相いれない要素がある。26日には臨時国会が召集されるが、「天皇が『お言葉』を述べるのは憲法違反」との立場をとる共産党の国会議員は、開会式を欠席する。
実際、昭和天皇が逝去された際の反天皇キャンペーンはすさまじかった。ご逝去直後の1月10日付で「赤旗」1面に掲載された宮本顕治議長(当時)のインタビュー記事では、昭和天皇を「日本歴史上最大の惨禍をもたらした人物」と断じて、「徹底的に弾圧され、たくさんの人が迫害され、殺された。時代的には対極の中で過ごした関係」と語っていた。
【2006/09/08 東京朝刊から】(09/08 09:20)
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