親日トルコ国民の心遣いに感謝!Tweetまとめ13.09.01〜13.09.15
2013.09.17 Tuesday 00:28
くっくり
今ここをご覧になっている皆様の中で、両国友好の出発点となったエルトゥールル号遭難事件をご存知ない方は多分おられないとは思いますが、簡単に説明しますと…
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昨日9月16日は台風18号により日本の広い地域で被害が出ましたが、ちょうど123年前の明治23年9月16日の日本も台風に見舞われていました。
そんな中、和歌山県串本町沖でトルコのエルトゥールル号という船が座礁、沈没してしまいます。
乗組員587人が犠牲となる大惨事でしたが、地元村民の必死の救助活動と看護活動により69人の命が救われました。
更なる治療を受けるため神戸に移送された69人のために、明治天皇は侍医を派遣され、皇后陛下は看護婦13名を神戸に遣わされました。
また、事件が報道されると日本中から多くの義捐金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられました。
69人は元気を回復した後、日本の軍艦に乗艦し、翌年1月に無事帰国を果たすことができたのです。
(事件後に独自に募金運動を展開し、集まった義捐金を携えてトルコに渡り、両国の友好をさらに深めた山田寅次郎という人もいました)
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トルコの方々はエルトゥールル号事件で日本人が取った行動をずっと覚えていてくれて(トルコの教科書にも載っている)、それが95年後の昭和60年3月、イラン・イラク戦争における日本人への「恩返し」につながりました。
フセイン大統領の「48時間後にイランの上空を通過する全ての飛行機を攻撃対象とする」という突然の宣言により、日本からの救援機が間に合わず孤立していた在留邦人を、トルコ航空機が救出してくれたのです。
イラク軍に撃墜される危険がある中での勇気ある行動でした。
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なお、トルコは日露戦争でも日本の勝利のために出来うる限りの支援を行ってくれました。
これはトルコと日本がともに帝政ロシアの南下政策に直面しており、地政学的に似たような立場にあったのが大きな理由です。
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