慰安婦強制連行があったのなら、なぜ朝鮮人男性は反乱も起こさず黙っていたのか

2013.07.27 Saturday 03:31
くっくり



 ざっと2500万人とすると、女性は半分の1250万人ですよね。
 そのうち、慰安婦として“適齢期”の女性は何人ぐらいでしょう?
 何をもって“適齢期”と認定すべきか分からないし、計算も面倒なので、半分弱の600万人と仮定します。

 すると、600万人のうちの「20万人」ですから、30分の1です。
 ということは、なんと当時の“適齢期”の朝鮮人女性の30人に1人が「性奴隷」にされたということになります。
 これは非常に高い割合ではないでしょうか。

 こんなにも大量の朝鮮人女性がさらわれたのであれば、それを理由に朝鮮全土で暴動が起きてもおかしくありませんが、そんなものは当時全く発生していません。

 ……と言うと、強制連行あった派は、「20万人という数字は誇張で、実際は数万人では?」などと反論するかもしれません。

 が、たとえそうだとしても、「もし強制連行があったのなら、なぜ朝鮮人男性は反乱も起こさず黙っていたのか」という疑問に対する答えにはなりませんし、「朝鮮総督府が、植民地統治の崩壊を招きかねないリスクを許容したとは思えない」という見方も常識的なものです。

 実は、これを補強してくれる貴重な証言があります。
 1942年(昭和17年)から終戦まで朝鮮総督府に勤めていた大師堂経慰(だいしどう・つねやす)さんという方の証言です。

 ソースは、「正論」2012年1月号掲載の【元朝鮮総督府江原道地方課長が遺した憂国の論考「慰安婦強制連行はなかった」】と題された大師堂経慰さん自身の論文です。

image[111212-02seiron.jpg]

 これを拙ブログでは11/12/12付:「従軍慰安婦」は朝日新聞の捏造ですで一度紹介しましたが、ちょっと目立たないシチュエーションでしたので、再掲することにしました。

★大師堂経慰さんの経歴
 大正6(1917)年、朝鮮に生まれる。京都帝国大学経済学部卒。朝鮮総督府に入り、江原道地方課長、朝鮮総督府事務官などを歴任。終戦後、商工省経済企画庁に入り、広島通商産業局商工部長で退官。その後、日本合成ゴムに入社し、常務、専務を務める。著書に『慰安婦強制連行はなかった』(展転社)など。大師堂氏は平成22年11月、最後まで本問題を憂慮しつつ逝去された。従って本稿は氏の遺稿となった。

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