参院選の比例区(比例代表)はやはり中山恭子さんに投票します

2013.07.20 Saturday 00:20
くっくり


 ウズベキスタンは大変な親日国です。日本人というだけで尊敬され、信頼されます。その元にあるのは何か、それは日本の文化でございます。敗戦後、シベリアに抑留された日本兵が中央アジアに移送され重労働に従事させられましたが、ダムや水力発電所、運河、道路、さらに劇場などの立派な建築物を建て、今もしっかりそれが残って使われているというのが現状でございます。日本の若者たちは、帰国できるかどうかも分からない中、真面目に誠実に陰ひなたなく働いて、良いものを残し、感銘を与えました。ここで働いた人々は混成部隊です。ということは、当時の全ての若者たちがこのような文化を身に付けていた証左であると考えます。
 麻生大臣は、ウズベキスタンではタロー・アソーと呼ばれて大変尊敬されていらっしゃいます。カザフスタンのナザルバエフ大統領にもお会いになっていらっしゃいますが、中央アジアの国々での日本人の動きについて、一言お話しいただけませんでしょうか。

○国務大臣(麻生太郎君) カリモフという大統領がおられるんですが、一九九七年だったと思いますが、日本の閣僚として初めてウズベキスタンという国に行きました。大統領と接見があって、我々、同友会から数十人同行されたと記憶します。
 子供のとき、毎週末、日本人捕虜収容所に連れていかれた。御存じかと思いますが、四五年から四六年にかけて、シベリアからウズベキスタンに二万五千人捕虜が移送されております。そのことを言っておられるんだと思いますが、その捕虜収容所に連れていかれた。母親が私に言ったせりふは毎週末同じだった。せがれ、ごらん、あの日本人の兵隊さんを、ロシアの兵隊が見ていなくても働く、人が見なくても働く、おまえも大きくなったら必ず人が見なくても働くような人間になれ。おかげで、母親の言い付けを守って、今日俺は大統領になれた。なかなか、一緒に行った、私よりもっと御年配の方が多かったものですから、非常に感激をしておられましたけれども。
 これは、この人が大統領でおられたためにいろんなところにこの点は徹底して、今言われた、ナボイ劇場の話だと思いますが、ナボイ劇場はその捕虜が建てたものですけれども、これはウズベキスタンの大地震のときにこのナボイ劇場だけが倒壊しないで残った。したがって、そこには日本人捕虜と書かれず日本国民と書き直されて、我々は捕虜にした覚えはないので、日本国民によって建ててもらったということが書いてあるので、これはウズベキスタンという国、中央アジアの中において大勢力ですけれども、この国において日本人が非常に定着し、日本の文化というものが広まっていった元の元はその二万五千人に上る捕虜収容所に入れられた方々の一人一人の御努力の結果、今日の日本・ウズベキスタン関係ができ上がった基礎はそこにあると、私も伺ったときそう思いました。

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