佐藤新平少尉の御霊は靖国神社に今も居られます
2013.04.29 Monday 03:49
くっくり
お母さんの本当の有難味が解ったのは東京へ出てからでした。あれから余り家に居る事もなく、ゆっくりお母さんに親孝行をする機会のなかった事だけ残念です。
軍隊に入ってお母さんにお会いしたのは三度ですね。一度は去年の休暇、二度目は去年の暮近く館林まで来ていただいた時、あの時は新平嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
態々(わざわざ)長い旅をリュックサックを背負って会いに来て下さったお母さんを見、何か言うと涙が出そうで、遂、わざわざ来なくても良かったのに等と口では反対の事を言って了ったりして申し訳ありませんでした。
あの時お母さんと東京を歩いた思い出は、極楽へ行ってからも、楽しいなつかしい思い出となる事でしょう。
あの大きな鳥居のあった靖国神社へ今度新平が奉られるのですよ……。手をつないでお参りしましたね。今度休暇でかえった時も、お母さんは飛んで迎えに出て下さいましたね。
去年の時もそうでした。
四月四日
父上様へ
お父さん、新平、日露戦争へ行かれたお父さんの子供として恥ずかしくない死場所を得ました。お喜び下さい。
我が侭者の新平、子供の頃から何時も心配ばかりおかけし申し訳ございませんでした。
御恩返しに、うんと親孝行しようと思っていましたが、結局何も出来ずにしまいました事をお許し下さい。
随分大きくなるまでお父さんと一緒に寝た新平は、幼い頃お母さんに、お前はお父さんの子、文吾は俺の子等と言われたものでした。
厳格な半面、子供の時から人一倍可愛がって頂いた新平は本当に幸福でした。
酒に酔われて義太夫や踊をやられたお父さんの昔の姿がなつかしく思い出されます。
どうぞお父さん何時までも御壮健で文夫や洋治を可愛がって下さい。
書きたい事はいくらもありますが、今日はこれで止めます。
*
日本一のお母さんを持った新平は常に幸福でした。
小雨の降る夕方、お母さんと一緒にかこちゃんのお母さんのお墓参りをした事、愛国婦人会の事で在郷を一緒に歩いた事、天神様へ成績の御知らせに行った事等楽しい想い出は次々とつきません。
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