佐藤新平少尉の御霊は靖国神社に今も居られます
2013.04.29 Monday 03:49
くっくり
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佐藤新平少尉は岩手県出身で、特別攻撃隊の第79振武隊所属。
昭和20年4月16日に出撃、戦死。享年23歳でした。
【三月三十一日
出撃までに、も一度兄の墓参りと思いしも時間なし。
お父さん、お母さん、新平何一つとして思い残す事とてありません。唯御国の為に立派に死ねる喜びで一杯なのです。
唯一つ心配なのは、半年の間に二人の子供を失うお父さん、お母さんの事です。
苦労ばかしおかけしたお父さんお母さんに、これからはうんと親孝行しよう……何時も兄さんと言った言葉でした。
実はこの間かえった時も、ほゞ今度の事は解って居りましたが、遂に言い出せませんでした。
だが、お父さんお母さん、新平は死んだとて魂はいつまでもいつまでも生きて居ります。
兄さんと新平の魂は何時でもお父さんお母さんを見守って居りますよ。
二人とも子供を失ったと言って悲観したりしてはいけません。兄さんだって随分と増産には働かれてのだし、新平だって今までに相当に空中戦士を養成しましたし、今度は軍人の最高名誉たる特別攻撃隊の一員として悠久の大義に生きるのです。
*
こんな目出度い事はありませんよ。新平、米英艦船に命中の報が有りましたら、お父さん新平の陰膳相手でお酒でも飲んで下さい。
そして余生を文夫や洋治相手に楽しく送って下さい。洋治と言えば名前も本当に小生とゆかりの深いものとなりました。
四月一日
お母さん江
思えば幼い頃から随分と心配ばかしおかけしましたね。腕白をしたり、又何時も不平ばかし言ったり。
眼を閉じると子供の頃のことが、不思議な位ありありと頭に浮かんで参ります。
悪いことなどすると神様に謝らせられたり、又幼い頃「今日の良き日をお守り下さい」「今日の良き日を有難うございました」と毎日拝神のことをやかましく言われたお母さんでした。
今日になり本当にあの頃からのお母さんの教育がどんなにか新平の為になった事でしょう。病気で心配をかけたり、又苦学の時も随分と心配をおかけしたり。
苦学と言えば、家を出発する時、台所でお母さんが涙を流されたのが、東京にいる間中頭に焼きついて、あの頃どんなにかかえりたかった事かしれませんでした。
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