日本よ、これがスーチーだ

2013.04.22 Monday 19:52
くっくり


 経済制裁を科し旧軍政と対立した米欧に対し、日本はミャンマーを国際社会で孤立させないよう、関係を保ちながら民主化を働きかけた。日本は80年代までミャンマーの最大援助国で、88年の軍事クーデター後もいち早く経済援助を再開した。スーチー氏は日本の姿勢を人権軽視だと非難し、「理解に苦しむ」(本紙連載「新ビルマからの手紙」)などと苦言を呈してきた。

大統領選見据え… スー・チー氏、帰国 日本との距離、縮まったのか(産経新聞2013.4.20 13:31)
 スー・チー氏の側近によると、彼女にとり日本という存在は「心中複雑な国」である。
 日本はまず、スー・チー氏が敬愛してやまない父、アウン・サン将軍が、英国からのビルマ(ミャンマー)の独立を目指し潜伏し一時、手を結んだ国であり、後に英国とともに駆逐した国だ。
 その父親は独立(1948年1月)を目前に、32歳の若さで暗殺され、このとき2歳のスー・チー氏には、父親の記憶も面影もほとんどない。彼女が85年から、京都大学の研究員として子連れで日本で暮らしたのは、「父親探しの旅」であった。当時の日本の印象を、スー・チー氏は次のように回想している。
 日本人は勤勉だ。だが、経済成長が最優先され、窮屈に生きている。他のアジア人に優越感を抱き、あらゆる機会を利用し金もうけをしようとしている。男性は女性を蔑視している−。
 何より、スー・チー氏には、弾圧された軍事政権時代から今日に至るまでの、日本政府の「政権寄り」に対する不満と不信感が内包されていると、側近は打ち明ける。それは日本政府が、民主化運動を弾圧した軍政と良好な関係を保ち、民政移管後も、民主化勢力を軽視していることにあるのだという。
 日本側の訪日招請にも一時は、消極的だった。結果として訪日は欧州、米国、インドなどへの外遊から、だいぶ遅れた。

 私は、もしスーチー女史が大統領になったら、ミャンマーは今までのような親日国ではなくなるのではないだろうかと危惧しています(国民レベルはともかく政治レベルで)。

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