日本よ、これがスーチーだ

2013.04.22 Monday 19:52
くっくり


 すると彼は、まずはじめに、ミャンマーの英国からの独立は、日本軍のおかげであると日本への感謝の意を表明して、
 「我々四千五百万のミャンマー国民(その当時の人口)は、この大地で生まれこの大地で死ぬ。英国で育ち、英国に家を持つ人には分からない」と答えた。

 私は、ミャンマーが大好きになり、また、この親日的な国との友好を深めるのが日本の国益にかなうとの思いから、以後毎年一回から二回の割でミャンマーを訪れることになった。
 ある時は、スーチー女史が、日本のポリオ生ワクチンの援助を「軍事政権を利するだけだ」と非難したので、では、果たしてそうかと、首都を遠く離れたミャンマーの田舎のポリオ生ワクチン接種現場を見に行った。
 そこでは、多くの若いお母さんが村の学校に子供を抱えて集まっていた。楽隊が演奏して踊りも始まった。まるでお祭りのようであった。そして、お母さん達は幸せそうにニコニコ笑っていた。私には、この多くの子供達が日本の援助により小児麻痺の恐怖から解放されることが、何故「軍事政権を利するだけだ」と非難するのか、スーチーの言うことが馬鹿らしかった。そして、日本のマスコミは、何故スーチーの言うことだけを報道して、このようなすばらしい援助の場所を取材しないのかと思った。
 その後、平成17年の春には、多くの仲間とともにミャンマーを訪れ、日本で集まった浄財でヤンゴン郊外の村に小学校を寄付することができた。

(中略)

5、「民主化要求」とは何か・・・欧米のダブルスタンダード
 建国以来、ミャンマーは国内の少数民族の反政府ゲリラとの内戦が絶えず放置すれば分裂する危機が続いていた。
 その原因は、イギリスの少数民族により多数派のビルマ族を支配させるという伝統的な分割統治にある。イギリスからの独立とともに、少数者は支配の特権を失うわけで、その不満が内戦に発展するのは必至である。
 従って、この国家分裂の危機を克服してミャンマーを統治する政権として「軍事政権」が誕生するのは当然の帰結である。国民教育を奪われた英国による植民地支配の後で、知識のある人材を抱えた訓練された組織は軍隊しかなかったからである。
 そして、軍事政権のキン・ニュン第一書記の時代に、内戦はほぼ克服される。そして、キン・ニュンは、平成15年に民主化実現に向けたロードマップを発表する。

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