日本よ、これがスーチーだ
2013.04.22 Monday 19:52
くっくり
対岸まで2キロもある湖のほとりにはスーチー邸のほか戦後ずっとこの国を支配してきたネ・ウインや政権のトップクラスの邸宅が建ち並び、対岸には米国大使館などがある。
ミャンマー版の中南海と言える。
image[1304-04mizuumi.jpg]
その湖を泳いで渡り、芝生をよぎってスーチー邸を訪れた米国人がいた。
中年の白人男で彼は2度、湖を泳いで渡った。
1度目は3年前の秋。
スーチーの留守宅を訪ね、彼女が仏教徒とも知らずに聖書を置いていった。
帰るとき、警備の警官に見咎められたが、別に捕まらなかった。
image[1304-05sinnyuman.jpeg]
2度目は翌09年5月。
手製のフィンをつけて真夜中に泳ぎ出し、途中で警官に見つかり石をぶつけられた。
それでも無事渡り切って庭をよぎって屋敷に入り、スーチーを驚かせた。
飯を食わせてもらい、明け方再び湖を渡って帰るところを捕まった。
ミャンマーでは無届で他人の家に泊まることも泊めることも犯罪になる。
男はそれで捕まり、重労働刑7年を宣告されたが、米国の要求で3カ月後に放免され帰国した。
ロイターの写真はまさに米国人の侵入経路を語る現場写真にもなるものだが、この光景はもう一つ、日本の外務省に伝わる「スーチーは悪者」説も裏付けた。
彼女は公道での集会は禁止なのに、わざと自宅前の路上で集会を開いて騒ぎを起こしていたという説だ。
image[1304-06shuukai.jpg]
当時のミャンマーは国連を通して英国の植民地支配を糾弾していた。
ビルマ王家から奪った財宝の一部が返還されもした。
英国はそれをなんとか黙らせたい。
それで滞英生活30年のスーチーを送り込んだ。
彼女はわざと騒ぎを起こしてはミャンマー政府の悪評を世界に喧伝するのが任務だった。
それを我が外務省が知っているのは彼女の家の向かいが日本大使公邸だったからだ。
一度、公邸から彼女の家を見たことがあるが、裏の庭は見えなかった。
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