支那人が支那人を殺す戦争!蒋介石の破壊と大虐殺
2013.03.30 Saturday 03:44
くっくり
それによると、蒋介石軍が南京陥落までに焦土作戦を強行した場所がわかり、主なものだけで、8つの郷村(鎮や県)が被害に遭っています。
これにヴォートリンが述べた南京とその周辺を含めると、被害地域は上海から南京までおよそ300キロ、日本で言えば東京から豊橋までぐらいの区間に散在していました。
日本語の『中華民國維新政府概史』は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで誰でも見ることができます。
たとえば、238ページにはこういう記述が見えます(現代語に改めています)。
【殊に蒋介石軍の兵車(へいしゃ)通過地域又はその駐屯地は、放火・掠奪・暴行・破壊と悪虐の限りを極められ、……農家は悉(ことごと)く被害を蒙(こうむ)り、甚だしきものは家屋農具は焼失、家畜・食料・種子は徴発され、農業生産に必要な一切のものを喪失するに至った】
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各地で狼藉を尽くした蒋介石軍が逃げ去ると、住民たちは安堵して隠れ場所から出てきました。
そして、野蛮な蒋介石軍を退治した日本軍を歓迎したのです。
それは南京でも同じでした。
フリーアナウンサーの鈴木史朗さん(1938年2月生まれ)は3〜4歳の頃、お父さんに連れられて南京に行った時、南京の人々が好意的に接してくれたという話を紹介しています。
また、昨年、南京事件をめぐる発言で物議を醸した河村たかし名古屋市長も、南京で終戦を迎えたお父さんが南京の人々から温かいもてなしを受け、お礼に桜の木をプレゼントしたと話していました。
どちらの体験も、「大虐殺」が虚構であり、日本軍の南京占領が住民にとっては解放だったからこそ、あり得た話ではないでしょうか。
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