平沼赳夫さんの1月30日代表質問起こし(転載)
2013.02.04 Monday 00:44
くっくり
動画:http://www.youtube.com/watch?v=EvGt1pwksPQ
質問 平沼赳夫氏(日本維新の会国会議員団代表)
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答弁 安倍晋三内閣総理大臣
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はじめに
平沼 まず初めに、アルジェリアで不幸なテロによって生命を奪われた被害者の皆様のご冥福をお祈りし、ご家族の皆様方に心よりお見舞いを申し上げます。
私は日本維新の会を代表して安倍総理大臣の所信表明演説について質問を致します。日本維新の会はこの度の総選挙において54議席を獲得し、比例で頂戴した票の総数は1226万票あまりでありました。全体の20%で、二番目の地位を占めたわけであります。私どもは国会の第三党としてその責任を自覚し、日本のために国政の場にあって、是は是、非は非の基本姿勢で今後の政治に責任を持って対処してまいる覚悟であります。
本題に入る前に、我が岡山が生んだ幕末、江戸後期の偉人、備中松山藩の山田方谷(ほうこく)について触れてみたいと思います。彼は今より200年ほど前、1805年に現在の岡山の高梁市で生まれました。家は貧しい農商で、菜種油の製造と油の販売を行っていました。幼くして両親を失った方谷は、陽明学を学び、苦学して家業に精を出しました。彼は神童の誉れ高く、その学徳が藩主に認められ、わずか9歳の折、将来は何になりたいか、こう問われた時、「治国平天下」と答えたと言います。『大学』にある「修身斉家治国平天下」、身を修めて、家を斉え、以って国を治めれば、天下は平らかである、この言葉を9歳の少年が堂々と述べたというので、皆びっくりしたそうであります。
彼は京都や江戸へ出て、学問に勤しみ、武士に取り立てられるまでに至りました。江戸では佐藤一斎の塾に入り、佐久間象山と二傑と称され、彼が塾頭になったわけであります。32歳で故郷の松山藩に戻った方谷は、藩校の有終館の学頭、教授となりました。方谷は教育家として、学識経験に一所懸命に邁進し、40歳で殿様の教育掛にもなったわけであります。
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