「アンカー」報道されない拉致問題と尖閣国有化合意?の真相
2012.09.06 Thursday 03:12
くっくり
村西利恵
「この頃って再調査って言われてた時でしたよね、拉致問題が…(一同同意)」
青山繁晴
「そうです。あの、僕たちがこの『アンカー』でもやったのはですね、あの、この2008年の6月ですよ、その、夏じゃなくて6月に、その、再調査を北朝鮮がする代わりに、その、制裁の一部解除を検討しようかってことになってて、それはいったん合意したんですよ、その日朝協議でまさしく。合意したのにそのまま、再調査も行われずに、すーっと消えていったのは一体何でなのか、謎が分かんないねって言ってたのが、謎はこれなんですよ」
一同
「はあー…」
青山繁晴
「つまりこれが、壊れたからですよ。だから再調査の話もなくなったんですが、なぜ壊れたかというと、実は壊れなきゃいけなかったんです。壊れて困るんじゃなくて、本当は壊れなきゃいけなかった。どうしてかというと、家族会は、このような姿勢を取られました。出して下さい」
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村西利恵
「家族会は、帰国する日本人の名前を事前に知らされないという、北朝鮮の条件に乗ることに不安を持ち、反対した」
青山繁晴
「これはね、あの、家族会は、あの、例えば意見の対立などで、苦しみもあるんですよ?僕はきれいごと申しませんから。しかしよくぞこれまとまって、反対されたなと思うんですよ。それどうしてかというとですね、何と北朝鮮は条件を付けた。福田総理はその条件を事実上呑んだ上で家族会に打診した。その条件というのは、誰を、返すかということは、事前に知らされない。日本にその人が帰ってきて初めて、ああこの人なのかと分かるって話。ということはですよ、それをもし認めたら、例えば皆さん思い出して下さい、えー、2002年の9月17日に、今からちょうど10年前ですが、小泉さんが初めて、えー、平壌に行って、そして初めて北朝鮮が拉致を認めましたね。認める代わりに、5人は生きているけれども、8人はもう亡くなったんだと、いうことを言いましたね。その時に死亡診断書なるものを出してきて、ところがそのあとに、2004年になってから、つまり2年後に、あれは全部、偽造の診断書だったってことは北朝鮮も認めたってことがあったんですね。だからこそ、恵子ちゃんや横田めぐみさんも含めて、拉致被害者は、生きているということで私たちは踏ん張ってきたのに、これをもし受け入れてたらですよ、要するに、8人の方は死んだことにそのままされるということになりかねないってことに家族会はちゃんと気がついて、反対したんですよ。そしてさらにですね、北朝鮮が返そうとしたっていう人はですね、小泉さんが行ったあとに認定された、鳥取の松本京子さんであったり、あるいは、神戸出身の田中実さんであるかもしれない。しかし本当は政府認定の17人以外にも、拉致被害者が、やっぱり、やっぱりいるんじゃないかって、その証拠じゃないかっていう可能性も、非常にあるわけですね。しかし家族会は、いわば、冷静に、これを拒絶した。従って再調査なんてのは僕は『アンカー』で言いましたが、再調査って本当はほとんど意味がないと言いましたが、それも、北朝鮮の思惑通りに進まなかった、家族会のおかげで、北朝鮮の企みに、乗らずに済んだっていうことなんです。しかし同時に、ちゃんと生きている拉致被害者がいるっていう証拠を、北朝鮮自ら示したってことですね。さあその上で、これを受け止めた有本さんは、どうされるのかっていうことが、ここに出てきます。はい、出して下さい」
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