2012.08.14 Tuesday 02:54
くっくり
1991年(平成3年)12月、マレーシアのケランタン州コタバルで日本軍のマレーシア上陸50周年を記念する特別式典が行われ、さらに戦争博物館を設立した。その際の挨拶。
ここコタバルは日本軍最初の上陸地です。
私は戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人々にこの貴重な出来事を長く記憶にとどめていただきたいと願っています。
日本を辱めようとする内外の歴史家や自虐史観に立つ人たちは、これまで太平洋戦争がもたらしたアジアの民族主義への影響をことさら無視し続け、あるいは「過小評価」してきました。
戦後、日本とともに英国と戦ったインド国民軍2万人が、戦勝国の英国によって軍事裁判にかけられ、大騒ぎになった時、主席弁護士を務めたバラバイ・デサイ博士は、無罪と即時釈放を主張するとともに、日本軍関係者についてこう語った。
インドはまもなく独立する。
この独立の機会を与えてくれたのは日本である。
インドの独立は日本のおかげで30年も早まった。
インドだけではない。
ビルマもインドネシアもベトナムも、東亜民族は皆同じである。
インド国民はこれを心に深く刻み、日本の復興には惜しみない協力をしよう。
※1989年に昭和天皇が崩御した際、日本人は2日間の喪に服しましたが、インド人は3日間の喪に服しました。
「自死の日本史」より
ヒットラーと阿南(惟幾)、いずれが高貴であるか、いうまでもない。責任を逃れない者こそ高貴なのだ。
阿南の偉大な魂はヤヌスのごとく、過去と未来と、平和と戦争を、エラーと許しを切り結ぶ地点に立っている。
ヒットラーはどうか、石油の煤(すす)で死体をわからなくした行為に表れた通り、亡霊として生きつづけ、永遠に歴史に祟(たた)ろうとしたのではないか。
一方、日本軍は容易には敗北を認めなかったが、時至るや堂々とそれを受け入れ、逃げも隠れもしなかった。
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