外国人から見た日本と日本人(34)

2012.06.19 Tuesday 00:46
くっくり



 それと共に、仕事について厳しい指摘をされましたので、私たちは非常に恥ずかしい気持ちになりました。確かに姉歯さんのいう通りです。仕事が終わって私たちと集まりを持つときでも、姉歯さんが一番先に来て私たちが来るのを待っています。私たちは四時まで仕事をするようになったといっても、姉歯さんより早く帰ってしまいます。姉歯さんは身を以って公務員の生き方を示しており、それを私たちは目の当たりにしているのですから、言われる前に気づかなければなりません。国民がどうあれ、まず私たちがもっとしっかりしなくてはならないと思いました。

※こちらの記事は2007/07/11 11:39 PMに頂戴した「おれんじ」さんのコメントより転載させていただきました。

■林茂生(りん・もせい)=台湾人。1887年(明治20年)〜1947年(昭和22年)。戦前に台湾から留学し、台湾人としてはじめて東京帝国大学の卒業生となる。その後、米コロンビア大学留学、米国で博士号を取得した初の台湾人となった。戦後は台湾大学文学院教授、新聞「民報」社長を務めるなど多方面で活躍していたが、中国大陸から台湾に乗り込んできた中国国民党軍が台湾民衆蜂起を鎮圧するため数万人の台湾人を虐殺した「2・28事件」の犠牲者となった。
1945年の日本敗戦時、台湾から日本人が粛々と引き揚げる様をこう詠んだ

  日僑(にっきょう)今や天地巡りて国に去る
  天を恨まず地に嘆かず
  黙々として整々と去る
  日本人 恐るべし

■史明=台湾人。本名は施朝暉。独立運動家、歴史家。1918年(大正7年)台北市士林生まれ。1937年(昭和12年)に早稲田大学政経学部に入学。1942年、祖国台湾の独立のために命を捧げようと決意、単身上海へ渡り、中国共産党が率いる抗日運動に参加。しかし数年もしないうちに共産党の偽善性、非人間性に憤りを感じ、文化的も民族的にも中国人と台湾人の違いを痛感する。1949年(昭和24年)に台湾へ戻り、「台湾独立革命武装隊」を組織し、独立運動に身を投じる。1952年(昭和27年)、蒋介石の暗殺を謀るが事前に失敗、日本への亡命を余儀なくされる。日本では料理店を営む一方で、「独立台湾会」を創設。また「台湾人四百年史」を著す。台湾民主化後の1993年(平成5年)に帰国。「台北愛郷会」「高雄愛郷会」などの下部組織を作る一方、「独立台湾会」の理念と政治闘争路線を推進している。

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