「アンカー」渡辺謙が生出演“日本人の誇り”と『硫黄島からの手紙』秘話
2011.08.18 Thursday 03:34
くっくり
「そこでやっぱりつながり…」
渡辺謙
「(被災地に)行かれたんですよね」
山本浩之
「僕も3回今まで、行かせていただいてますけれども、あの、こちらももう無力感しか感じないんですけれども、そんな中でどうやって、いつまでもつながっていられるかっていうことを、考えたいなというふうには思ってるんですけれどね」
青山繁晴
「南三陸の、遠藤未希さんていう、24の女性の方、最後まで津波が来ますよって放送してくれた、そこの防災庁舎のところは行かれました?」
渡辺謙
「はい、行きました」
青山繁晴
「はい、伝わってくるもの、ありましたでしょ?」
渡辺謙
「あの、僕はだから、一番最初に行った時にね、みんな、ま、僕もそう言ってたんですけども、瓦礫の山って、簡単に言ってしまうんですけど、あれは、生活していた跡なんですよね。ほんとにそこには、こないだまでっていうか、もうつい最近まで、生きていた証がいっぱい散らばってるわけですよ。だからそのことを目にした時に、ほんとに、いや、何ができる、何ができるんだろうと悩む前に、何かすればいいんだっていうことの、何か勇気が湧いてきたような気がするんですね」
青山繁晴
「謙さん、あの、遠藤未希さんや、その上司の三浦毅さんらと、硫黄島の英霊の方々や、あるいは沖縄の学徒看護隊の方々、60年を経て、ずっとつながってると、人のために生きると、人のために命の最後まで捧げると、それが、僕はさっき、あの、理解していただきたかったことなんですよ」
渡辺謙
「ま、僕らも、あの、できるだけ、やっぱりそういう歴史的な背景だったりとか、人が生きていくっていう、どういうことなんだっていうことをドラマの中で、ま、伝えたいと思ってやってるわけですけど、その時に、やっぱり、間違いたくないなっていう思いは、ありますよね」
青山繁晴
「ま、あの、『シャンハイ』って映画を拝見すると、あの、悔しさも募るっていうか、要するにその、日本が、ほんとに外交上手であれば、アメリカと戦うことは、回避できた。で、僕は日米は戦うべきじゃなかったと、栗林中将もそうですけれども、ずっと思ってますから、だから、もう…」
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