昭和天皇の涙…二つの位牌を手にした少女

2011.08.14 Sunday 03:19
くっくり



 じっと耳を傾けていた天皇は、流れる涙をそのままに、老婆を見つめられていた。

 引き揚げ者の一行の前では、昭和天皇は、深々と頭を下げた。

 「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変だったであろう」

 とお言葉をかけられた。

 一人の引き揚げ者がにじり寄って言った。

 「天皇陛下さまを怨んだこともありました。しかし苦しんでいるのは私だけではなかったのでした。天皇陛下さまも苦しんでいらっしゃることが今わかりました。今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みません。天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります」

 この言葉に、側にいた青年がワーッと泣き伏した。

 「こんな筈じゃなかった。こんな筈じゃなかった。俺がまちがっておった。俺が誤っておった。」

 シベリア抑留中に、徹底的に洗脳され、日本の共産革命の尖兵として、いち早く帰国を許されていた青年達の一人であった。

 今回の行幸で、天皇に暴力をもってしても戦争責任を認めさせ、それを革命の起爆剤にしようと待ちかまえていたのである。

 天皇は泣きじゃくる青年に、頷きながら微笑みかけられた。

Japan On the Globe(136) 国際派日本人養成講座 国柄探訪:復興への3万3千キロより>】

 
 当時の日本には、「巡幸反対」を唱える共産党員がいたり、「天皇制」に反対する労働者らも少なからずいました。

 が、そういった人たちも、多くは、いざ昭和天皇のお姿を拝した時には自然と「天皇陛下、万歳!」と叫んでいたのです。

 以前もこのブログで紹介しましたが、静岡県静岡市の戦災者・引揚者寮でもそのような光景が見られました。
 その時のことを、大金益次郎(おおがね・ますじろう)侍従長はこのように記しています。

 「陛下の虚心な御行動の先ざきでは、我々の複雑な先入観は、常に事実として、払拭される。そこで、我々はただ日本人を見る。党派も階級も貧富も見えない。我々はただ日本人の血の叫び、魂の交流だけを感ずる。党派も貧富も階級もその障壁をなさない」


 御巡幸における昭和天皇と国民とのこのような温かな心の触れ合いの場面は、全国至る所で数えきれないほど見ることができたはずです。

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