昭和天皇の涙…二つの位牌を手にした少女

2011.08.14 Sunday 03:19
くっくり



 「仏の子どもはお幸せね。これからも立派に育ってくださいね」

 言うなり、大粒の涙が一つ、二つ、こぼれ落ちる。

 すると、ふいに女の子は呼んだ。

 「お父さん?」

 そこにいた大人たちは、言葉をなくして顔を覆った。
 海千山千の新聞記者までが、嗚咽を抑えられない始末だ。

 もはや天皇はあふれる涙を隠そうともしない。

 天皇にはこらえられぬ事のない剛の風を備えた武人の一面もあった。
 が、この時ばかりは、ついにこらえるのをあきらめてしまったようだった。

 寮を去るまで付いてきてしまった大勢の子どもたちに見送られ、天皇は因通寺を後にした。

<「日本の天皇—国難と天皇の歴史」(徳間書店)第一部 日本人として知っておきたい「国難」と天皇の歴史(監修/松崎敏彌)より>】


 皇居にお帰りになられた昭和天皇は、この時のことをこう詠まれました。

 「みほとけの教へまもりてすくすくと生い育つべき子らに幸あれ」

 この御製は因通寺の梵鐘に刻まれているそうです。

image[110815-02hansyou.jpg]

 (画像は「タイ国財団法人 慧燈財団」より)


 昭和天皇が洗心寮を出られた後、因通寺の参道では実はこのような出来事もあったそうです。


【因通寺の参道には、遺族や引き揚げ者も大勢つめかけていた。

 昭和天皇は最前列に座っていた老婆に声をかけられた。

 「どなたが戦死をされたのか」

 「息子でございます。たった一人の息子でございました」

 声を詰まらせながら返事をする老婆に

 「どこで戦死をされたの?」

 「ビルマでございます。激しい戦いだったそうですが、息子は最後に天皇陛下万歳と言って戦死をしたそうです。・・・天皇陛下様、息子の命はあなた様に差し上げております。息子の命のためにも、天皇陛下さま、長生きをしてください」

 老婆は泣き伏してしまった。

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