昭和天皇の涙…二つの位牌を手にした少女

2011.08.14 Sunday 03:19
くっくり


 この九州御巡幸は、「奇跡」ともいうべき大成功のうちに幕を閉じました。

 御巡幸先の中には、後に専門家が説明に窮するほどの増産を果たした炭鉱や工場が軒並み出るなど、大いに日本の復興を後押しする成果をもたらしたのです。

 また、佐賀県基山町因通寺では、まったく別の、胸の詰まるような「奇跡」が起きています。
 この場合、「奇跡」は御巡幸先だけでなく、昭和天皇の側にももたらされました。

 このお寺には洗心寮という引き揚げ孤児の寮がありましたが、戦災孤児や引き揚げ者の境遇を気にかけておられた昭和天皇は、ここを佐賀県での最初の御巡幸先にされたのです。

 その洗心寮で見られたのが次のような光景でした。
 
 
【寮に入るなり、天皇は子どもたちに親しく声をかけつつ進んだ。
 子どもたちも、この優しげな紳士をいたく気に入ったらしく、ゾロゾロと後をついて回った。

 天皇は、禅定の間といわれる部屋の前で足を止め、ある女の子を見つめて時を忘れたように佇んだ。

 侍従長は心配になった。
 京都御所発輦(はつれん)以来、一日の休みもなく巡幸を続け、洗心寮は福岡県から佐賀への入境早々の行幸先だった。
 ふいに胸が高鳴る。

 が、やがて天皇は引き込まれるようにして話しかけた。
 見ると、女の子が手にしていたのは位牌だった。

 「お父さん、お母さん?」

 天皇は話しかけた。
 位牌は二つだった。

 「はい。これが父と母です」

 女の子は答えた。

 「どこで?」

 「父はソ満国境で、母は引き揚げの途中です」

 「お淋しい?」

 女の子は口元を引き締めた。

 「淋しくありません。私は仏さまの子どもですから」

 天皇は少し驚いて女の子の目を見つめたが、女の子はひるまずに続けた。

 「仏さまの子は父にも母にも、お浄土でもう一度、会えるんです。だから父や母に会いたくなったら、私は仏さまに手を合わせます。そして父と母の名前を呼ぶんです。すると父も母も、私のそばにやってきて、私をそっと抱いてくれるんです。私は淋しくありません。私は仏の子です」

 天皇は女の子をしばらく見つめたあと、部屋に入った。

 右手の帽子を左に持ち替え、空けた右手で女の子の頭をゆっくり、時間をかけて撫でつつ、なおも話しかけた。

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