保守系識者諸氏が見た震災(2)
2011.06.18 Saturday 00:56
くっくり
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【歴史の未曾有の出来事に向かい合ったとき、日本人は憤怒も絶望も悲しみもこえた、この民族の最も深い、ある原感情に突きあたる。それは狂騒ではなく沈着であり、運命にたいする反抗ではなく受容である。それは狂わしい出来事を静けさを持って沈下させる祈りの心である。
森鴎外はその心を「諦観」という言葉で表わそうとした。しばしば誤解されるが、それは決してたんなる諦めや断念の謂ではない。虚無主義でもない。むしろその反対に、宇宙の運行のような不可避の現実を前にして、それを能動的に受け容れながら、自己の責務を放棄することなく勇敢に対峙する姿勢のことである。フィロソフィー(哲学)という言葉には達観という意味が含まれるが、西洋近代の人間中心主義(ヒューマニズム)よりも、東洋的な思索のなかから生れた「諦観」という言葉に宿る深い知恵こそ、今日の世界に真に求められているのではないだろうか。】
<『正論』2011年5月号 富岡幸一郎「『諦観』に宿る深い知恵」>
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【ふと、このような「壊滅」的な光景を思い出した。昭和史の本などに出ている、昭和20年3月の大空襲で焦土と化した東京の写真である。
戦災と天災の違いはあるが、その「壊滅」性においてはほとんど同じようなものが感じられる。
江藤淳は1970年に、「戦後民主主義」の日本を「ごっこの世界」と批判した。そして、その「ごっこの世界」が終わるとすれば、「そのときわれわれは、現在よりももっと豊かに整備され、組織され、公害すらいくらか減少したように見える70年代後半の東京の市街が、にわかに幻のように消え失せて、そこに焼跡と廃墟が広がるのを見るであろう。そして空がにわかに半透明なものたちのおびただしい群にみたされ、啾々(しゅうしゅう)たる声がなにごとかをうったえるのを聴くであろう」と書いた。
そして、日本人はそのとき、いつの間にか頭を垂れ、その沈黙の言葉にいつまでも聴き入る。その声は、戦争で死んだ300万人の死者たちの鬼哭(きこく)であり、眼前に広がるのは敗戦当時の東京の焼け野原の光景である。
これが「日本人の持ち得た真の経験の最後のものであった」。なぜなら、日本人が自らの運命の主人公として歴史を生き、その帰結を自らの手で握りしめ、それを直視する勇気と誠実さを持っていた最後の瞬間だったからという。
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