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- 腰抜け外務省
- 2009/12/02 01:45 AM
- くっくりさん、こんばんは〜
いわゆる革新系、左派の方もご覧になっているでしょうから、そういう方からの反論も是非聞きたいですね。
自らの思想信条、教育方針に自信のある方、名乗りを上げられて反論、或いはご自分のご意見を開陳されては如何でしょうか?
それとも組合の陰に隠れなければ物は言えませんか、日教組の皆さんよ。
高校の時は手のひらを返して、可愛がってくれて有難う。お礼もしたいので反論を是非お聞かせ願いたい。
- 2009/12/02 11:51 AM
- 一度だけ国歌を学校行事で歌ったことありますが誰も歌いませんでしたね。そして、それでも怒られなかった。普段は大きな声を出せとう怒鳴る教師ばかりでしたが。
- すか
- 2009/12/02 12:46 PM
- いつも拝見しています。私は1967年度です。
「地元集中」,私自身はそういう説得はありませんでしたが,同級生の1人が「内申書を書かない」と言われて結局私と同じ高校になったのを覚えています。
小学生の担任は「日教組」の方でした。教育内容は偏っていなかったと思いますが,成績管理が異質でした。
まず,通信簿の前の段階のものを持たされました。冊子体で各科目毎に,授業内容が羅列され,それぞれにテストの成績を記入したり,授業の理解度・態度を先生が判断して点数(1,2,3点のいずれか)を付ける,というものです。
例えば図工の作品も設定されている目標があり,そこが達成できなければ,どんなに素晴らしい造形でも過程も無視して1点です。
手を挙げて発言する回数も全て先生が記録しており,回数によって点数が配分されます。
そういったものを常に持たされていたのですが,問題は期末です。
その点数をまずは自分で集計し,その後,隣の席同士で交換してチェックするのです!
点数バレバレです。
それを全て回収して,ほぼその点数通りに通信簿が付けられる,というものでした。
これが5年,6年の担任のしたことで,6年に進級する際,始業式で担任が発表された際に,この先生の名前を聞いた途端,クラス全員がブーイング。悲痛な拒否症状でした。
この方針がいやで,だんだんと授業での発表もしなくなり,ただ静まりかえるクラスになりましたが,その私たちに「きみたちは考える力がないのか?想像力の欠落だな。頭も錆び付いているんだろう」と訳のわからない事を言ったことも覚えています。
国歌,国旗が排除されることはありませんでした。「日の丸の歌」もちゃんと授業で習いましたしね。
姉の同級生が教師になりましたが,ある日ウチに遊びに来て語った武勇伝が「この前,卒業式で日の丸外してやった!校長,何も言わなかったぞ。腰抜けだな。ま,無くて当然なんだしな」
彼のご子息は,うちの窓ガラスに石を投げて割っては悦にいるバカですが,彼から謝られたことは一度もありません。一事が万事でしょうか。
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