[2] 64年目の夏に読む青山さんの新刊&うじき氏親子の「戦争」

Comments


もふ
2009/08/18 10:32 AM
昔、左翼な新聞の年配の人とネットでやり取りしてたことがあるんだけど。

その人も
「銃をとるべき時はとる」
と言ってましたよ。

最近思うに。
平和運動の連中もかなり劣化が進んでるんじゃないんですかね。
というより、やはり極端な思想の連中って、他国の侵略の手先なんじゃないやろか。
自覚してるかどうかはともかく。
MF
2009/08/18 11:50 AM
>テツ さん
 私もほぼ同世代ですが、いわゆる戦後教育を受けた記憶はあまりありません。
 これは地域差もあるでしょうが、いわゆる世代の問題も大きく、戦前・戦中派がまだ現役で頑張っていた時代は、まだかなりまともだったということではないでしょうか。
 私の卒業した中学校でも、弟が卒業する頃までは何の問題もなかったのですが、その翌年、いきなり校内暴力の嵐に巻き込まれました。卒業生やその父兄は、その当時はなぜそうなったのか分かりませんでしたが、後から考えると、大部分の親の世代が戦前・戦中派から、昭和10年代以降、団塊の世代を中心にした世代に移ったことが最大の原因ではないかと思うようになりました。その中学校は、地域でもかなり優良な学校だったのですが、それ以降、かなり劣化が進んでいるという話しも聞きます。
 結局、戦後教育の問題は、それを受けた人が社会の中枢を担うようになる時期が一番危険なのかもしれません。最近の日本の危機もこの点に集約されるような気がします。
swordsman
2009/08/18 01:26 PM
>すらり さん
私も同世代ですが、北関東のど田舎でも、いわゆる戦後教育を受けた記憶はありませんねぇ。中・高と教師の中にも帰還兵が結構いましたからね。近くには太田飛行場とかありましたし、空襲も受けて被害も多かったから、今の感覚で言えば恨みつらみがあったはずなのに。ただ、東京から赴任してきた社会の新人教師は結構な反戦思想と反天皇思想の持ち主でしたね。あまり相手にされませんでした。県立上位校(東大・京大合格者多数)には左にかぶれて高校生のくせに「安田講堂にはせ参じよう」だの、「成田闘争に身を投じたい」だの言う生徒が七十年代前半から中期にかけていましたね。やっぱりそうした一時期の熱病みたいなものはありました。教師はあまり相手にしませんでしたね。日教組が強い地域にもかかわらず。

で、長くなり、私事で恐縮ですが、「うじき」さんの件です。帰省中の息子と見ており、ふたりで思わず顔を見合わせて、不謹慎ながら笑ってしまいました。と、いうのも丁度二十年前の夏、息子が中学生の頃、私の親父に向かって、そっくりなことをしました。たまたま親父が戦時中の体験談を孫に語ってやろうとしたときです。親父は海軍の軽巡に乗っていて二度ほど戦闘を経験、二度目には沈没させられ、太平洋をさまよったそうです。で、適戦闘機を機銃で狙い撃ちして撃破した、と言ったとたん、孫(息子)は、「じゃぁ、おじいちゃん、人を殺したことがあるんだ。どうしてそんなことするの、どうして戦争なんか行ったの?」とまくし立てました。傍らにいた私がたしなめようとしたとき、親父が「甘ったれたことを言うな!戦争が悪い、人殺しが悪い、そんなこと当たり前だ!じいちゃんだって…。でも、そのおかげで日本は立派な国になれたし、お前のパパは生まれたし、お前だってここにいる。そりゃあ、打ち落とした相手だって同じだろう。それはいつも思ってる。恥ずかしいことをしたとは子れっぽちも思ってない。お前は天皇陛下がどうの、自衛隊がどうのと学校出教わっているかもしれんが、その教えている教師達だって同じだ。戦争を批判するのはかまわんが、兵隊さんを批判するのはやめろ。そんな暇があったらどうやって回避するか、どうやって解決するかを具体的に考えろ!国があっての家庭、生活なんだから」
訥々と、でもゆっくりはっきり、毅然とした態度で言ったのを覚えています。息子も同じようで、苦笑いしきりでした。私とすれば、初めて「親父、かっこいいな」と思った瞬間でもありました。他界して10年になり、息子は親父と同じ、高校の社会科(政経担当)教師の道を歩んでいます。ちなみに、高教祖を中から壊してやるんだと息巻いてます。長々と失礼しました。

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