Comments
- とまと
- 2011/07/09 07:34 PM
- 日教組は確かにおかしい人間の集まりだと思います。日本人に生まれたくなかったんでしょうね。
でも、戦争に負けた時点で、いつの時代もアメリカのいいようにされるのが一応の日本なんでしょうね。国力は人口は少ない小さいですしね。この度の原発事故で逃げる人はそれなりの人。おおよその人は逃げれないんだしね。原発をお金儲け利権だけで受け入れた人たちは死んでるか老人だしね。いったい...悲しい日本人です。
- す〜すやぎ
- 2011/07/16 02:41 AM
- 飛び入り参加で申し訳ない。私は某大学生だが、国旗国歌の強制はどう考えても納得できない。
まず、私は根っからの愛国主義者です。日本のことを心から愛しています。しかし、国(郷土)を愛することと、日の丸君が代を見るたびに愛国心が駆り立てられるのでは話は全く違うと思います。国を愛することは能動性であり、積極的態度のことです。つまり、日本を「真に」愛すべき国にするためにも、その目を曇らせるもの、感覚を麻痺させるもの(全体主義、国家主義)を見抜かなければなりません。そしてこの国旗国歌の問題もその範疇ということです。国旗国歌が軍国主義につながるわけがないと言いますが、日本の現在の状態は戦前の雰囲気とあまりにも似ていて不気味だと、様々な人がもう何年も前から警告し続けています。不況や経済的な不安定は人々の精神を不安定にし、安定を求めます。その鉾先が日の丸や偶像的国家へ、または敵(中国、北朝鮮、日教組、在日)を作り上げ、徹底的に叩くことで、その不安を解消させようとします。これは積極的に愛したのではありません。能動性に対し受動性です。つまり無意識のうちに日の丸を見ただけで感動するのは(ただ布に赤く丸が描いてあるだけのもの)、一種のパブロフの犬と変わらないでしょう。または精神的に国家と精神的依存関係を持っています。
日の丸君が代に関しては、歴史をたどれば、君が代は古今和歌集から来ていたりと戦争に結びつく印象はありませんが、結果的に両方とも戦争(侵略)の旗印として、君が代も天皇を賛美するために利用されたのは事実です。
また戦争は人間の本能でも、運命でも、淘汰でもありません。そこには様々な原因や条件が重なって発生するものです。しかし戦後その条件は十分に取り除かれているとは言えないのです。国旗国歌問題、天皇問題もその条件の一つでしょう。元々、なぜGHQは天皇の戦争責任を追及しなかったかご存知ですか?当時世論として、約70%が天皇に何らかの責任を追及すべきと考えていたのだが、GHQは日本人の分析で「日本国民は羊飼いに率いられる羊」ととらえ、占領政策をスムーズに進めるために、この天皇への盲目的態度を利用したほうがよいという発想で天皇制を象徴としたのです。つまり、権力者(当時はアメリカ)の政策の目くらましとして象徴性は存続してきたのです。
日の丸に関しては、侵略の旗印であり、当時の3大ファシズム日独伊の中で、国旗を変えていないのは日本だけです。戦争の反省や危機感がまるでないと思われても仕方ないでしょう。しかし私自身は日の丸に関してはこのままでもよいのではないかと思います(具体的な話し合いは不可欠)。まあ慣れ親しんでいるのと、戦時中の旗印を変えないということで、戦争を忘れない決意となればの話ですが。君が代に関してはこれはもう一度話し合うべきでしょう。1999年の国旗国歌法自体何の国民的対話もなく決めたものです。それを押し付けられるのは道理に合いません。また思想信条の自由は当てはまらないし、公務員だから法律に従わないこと自体がおかしいというのも違います。憲法第99条公務員は憲法尊重擁護の義務があるとしています。そして憲法は国家権力を監視し、縛るものであって、一連の教師陣の反応は正当性があります(むしろ、あまりにも声を上げる教師が少なすぎる)。教師が沈黙して管理職や教育委員会にただ従う時、子供はその教師に「正義なし」と見下すでしょう。子供の面からみてもかなりのマイナスです。ただ盲目的に命令に、職務に、雰囲気に乗っかって指導するだけの教師が一体子供に何を教えられるのでしょうか。服従でしょうか。馴れ合いでしょうか。とにかくものごとを深く追及する視点は一番初めに奪われるでしょう。まあそれが権力者の言う「愛国心」なのですが。
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