[2] 鯨供養祭にみる日本人の心と戦略見直しを迫られる捕鯨問題

Comments


koku
2014/05/06 03:23 PM
私はクジラを殺してはいけないというのは白人の傲慢だと思います。

我々は、犬を食べてるからって中国や韓国を非難しません。オーストラリア人がカンガルーを食べてるからって非難もしません。きしょい奴らだとは思いますが。

実のところクジラをとってる白人国もあり、たいていの人らはクジラに関して他国に文句を言うことに熱心とは思いません。それが正しいのか疑問だと思っていると思います。

しかし、一部の白人は、自分たちのえり好みを他国に押し付けてあたりまえだという傲慢さがあると思います。

私には、なぜクジラがそんなに大事なのかさっぱり分かりません。クジラが絶滅しそうなら、獲る数量を減らせばいいだけですが、それで解決にはならないようです。

反原発と同様の根拠のない狂信的な態度ではないでしょうか。
マカロン
2014/05/06 09:58 PM
少なくとも、こちらオーストラリアでは、日本人がどれだけクジラの魂に思いを馳せて供養をしようと、何とも思われないでしょう。そもそも死生観が異なるのです。

日本にある程度造詣が深い人であれば、理解を示してくれるかもしれませんが。日本的価値観で相手の理解を得ようとすると余計に問題が複雑になってしまうような気がします。彼らからすれば、すでに殺された鯨にとっては、例え死後に供養されようと何の意味も無いという捉え方なのです。

とはいえ、彼らも「鯨が可哀相」という気持ちが根底にあって捕鯨に反対しながら、感情論ではさすがに通用しないということを、普通の感覚を持った人であれば分かっているようです。分かっているので、鯨が絶滅危惧種であるという論を全面に押し出して日本を責めています。ですからこちらは、捕鯨によって生まれる海の資源へのメリットや、捕鯨が鯨を絶滅に追いやる行為ではないことを科学的証拠を示して論じた方が良いと思います。その上で、捕鯨が日本の伝統的な食文化であることや、日本人は彼らとは異なる文化を築いてきたことを伝えれば、より理解されやすいのではないでしょうか。
とぼそ
2014/05/06 11:08 PM
kokuさんのおっしゃる内容に共感しています。

国際社会からの理解を得なければ捕鯨を継続できない、ということ自体が、勝手な思い込みではないでしょうか。少なくとも、それが発想の出発点であることについて、一度疑問を持って考えてみるべきだと思います。
「捕鯨は日本の伝統文化だから事情が特殊で、正当性があるんだ」という主張を、本当に理解して容認してくれる国があるでしょうか。たいていの国は、よその国の文化事情になど興味ありません。我々だって、ノルウェーやフェロー諸島の捕鯨文化には特に関心はないでしょう(私は職業上、別なアスペクトから興味があるのですが)。
日本は日本の必要量を捕獲すればよい。それが日本のかねての主張の通り鯨種の絶滅に繋がらないのであれば、問題ないでしょう。鯨を神聖視する意見には、全く耳を貸す必要がありません。

なお、私自身は日本の捕鯨文化・鯨食文化を重視しています。年明けには「鯨汁」が欠かせません。文化の継続が重要ですし、対外発信の継続も大事ですが、それで捕鯨について諸外国からの賛意を得ようというのは、虫が良すぎるのではないかと思います。

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