[2] 【アンケート】臓器移植法改正4案 どれに賛成?

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sf
2009/06/23 02:11 AM
くっくりさん、こんにちは

A案の提出者である河野太郎議員とC案の提出者である阿部知子議員の討論が下記のサイトで視聴できます。
本来は有料のサイトですが、両議員の議論部分は無料で視聴できます。
約1時間に渡って、法案の要点、問題点等が話されているため、この問題の理解に役立つと思います。

http://www.videonews.com/
sf
2009/06/23 03:22 AM
何をもって死とするかというのは、哲学的な問題でなかなか難しいですね。
以下、議論の本筋とは離れた戯言です。

皆さんのコメントを読んでいると、脳死は受け入れられないけれど、心停止による
死は受け入れるという方がかなりいますね。
歴史的に死は心停止によって判定されてきたので、この意見は理解できます。

ただ、医療措置を施さなければ死ぬという意味では心停止も脳死も同じなんですよね。
違うのは現代の医学では脳機能が停止しても、他の組織の活動を維持可能だという点です。
ならば、医学の進歩によって心肺が停止しても脳機能が維持可能になったときこそ、何をもって死とするのかが本当の意味で議論されるのではないでしょうか。

私は脳神経の不可逆的で壊滅的な破壊が死であると考えています。

私は死の定義について考えるときに、生(ヒトとして生命の宿る瞬間)について考えました。
生も哲学的な問題なので、以下あくまで個人的な考えです。

ヒトから抽出した体細胞は一人のヒトとは認めるられません。
認めてしまえば、ヒトの細胞株を扱う生物学者はみな大量虐殺者になってしまいます。
次に、受精した直後の受精卵を一人のヒトである(誕生の瞬間)と認めるかですが、私は認めません。
これには異論がありますが、生命の萌芽ではあるかもしれませんがヒトという生物(の誕生)ではないと考えます。

では、何をもって一人のヒトに命が宿る瞬間とするかですが、私は脳神経系の発達がこの瞬間になるのではないかと考えています。
つまり、「私が私であると認識する(そのための機能が整備された)瞬間」こそが一人のヒトに生命が宿った瞬間ではないかと考えています。

そうであれば、死とは、脳機能が破壊されたときであるとこう考えました。

故に、現在一般的な「心停止による死」の後、死者の生前の意思がない場合には、
遺体の扱いは遺族に任されるのと同様に、脳死後(=死後)遺体の扱いも、生前の意思表示が特にない場合は、
、遺族に任されていいのではないでしょうか。

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