[2] 日教組がかつて行っていた「地元集中」 関西の番組が批判

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すずめ
2009/12/10 03:49 PM
こんにちは。1961年滋賀県生まれです。
小学校の時はバリバリの愛国教育?でした。朝な夕な国旗の方向に向かい、廊下にいようがトイレにいよううがその場で直立して国家斉唱。
運動会の時は毎年「君が代行進曲」を全校児童が演奏しながら行進していました。(かしら〜右!とかまるで軍隊式・・笑)
ところが、6年生になって校長先生が変わったとたん廃止に。朝な夕なの国歌斉唱は校歌斉唱に変わり、愛郷心教育に切り替えられました。
そして中学に入ると同和教育をこれでもかとやらされました。国歌を歌った記憶は殆どありません。

この両極端、理由は未だに謎ですが、小学校時代の愛国心教育に今となっては感謝しております。
kero
2009/12/16 12:18 AM

はじめまして。

1967年生まれの元高槻市民です。

「1970年生まれの高槻市議会議員・北岡隆浩氏の体験談」についてですが、阿武野高校の設置は1983年で、私たちの年が一期生に該当しますので、微妙にズレてます。
ついでに言うと、私の母校である高槻南高校(今は廃校)は別に目指すべき進学校というわけではなく、ここも高槻南部の中学校にとっては地元集中の対象です。せっかく記事を書くなら正確を期してほしいですね(笑)。

まあ、全体的には記事の通りで、高槻の進路指導が滅茶苦茶だったことは事実です。
もちろん、中には尊敬に値する先生もおられましたが、中学三年当時の担任の教師は最悪でした。
先ずは併願で受験する私立高校の指定に始まります。ただし、一応選択肢があって、2校から1校を選ぶというものです。しかし、この時は話し合いで別の私立高校の受験を認めてもらい合格しました。
続いて公立高校受験の段階になると、私はやや背伸びしたレベルの高校を希望しましたが、担任は地元である新設の阿武野高校出願を執拗に求めてきました。結局、両親が前に出てきて揉めた末、なぜか担任以外の教師が間に入って、代替案として高槻南高校の受験が決まるというわけのわからん展開となりました。
しかも、私の進路指導にもかかわらず、担任はクラスの不良少年や身体障害者の進路の話を延々としていて「なんのこっちゃ」と思ったことを覚えています。

今となってはこれらも苦い思い出ですが、こうしたことは繰り返してほしくありませんね。
kero
2009/12/17 12:29 AM

再度、元高槻市民です。

もう一ヶ所、事実と異なる点がありましたので指摘しておきます。
(しつこくてすみません)

> 1970年代、中3の時に高槻市に移り住まれた男性の体験談

の中にある

>高槻方式に従い、地元の高槻高校に行けと言うのだ。

の部分。
高槻高校は学区内では指折りの進学校で、しかも私立です。地元集中とはまったく関係ありません。


あ、それから前のコメントで

>記事を書くなら正確を期してほしいですね(笑)

って書いてしまいましたが、これはくっくりさんにではなく、体験記を書いた人に向けたものですので誤解なきよう・・・。


あ、それから中学時代にびっくりしたことが蘇ったので2点ほどご紹介を・・・。
1)音楽の時間
「君が代」を教わることは勿論ありませんでしたが、「平壌は心のふるさと」という歌をみんなで歌ったことがあります。
(さすがにメロディは忘れましたが・・・)

2)狭山事件で警察・検察を糾弾する看板が校庭に堂々と掲げられていました。しかもゲバ文字。

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[Serene Bach 2.04R]