Comments
- donnat
- 2009/12/20 10:56 PM
- >伊勢えび
茹でたり焼いたりすると曲がる。
腰が曲がるまで長生きでということで、長寿を願う。
こんにちは、donnatです。
私も長い間えびは腰が曲がるので長寿を祝うと思っていたのですが、
安岡正篤氏によると、
“えび”は毎年殻を脱いで新しくなる。殻を脱がなくなるのは死ぬときだそうです。つまり、毎年、毎年、殻を脱いで新しい年を迎えるという意味で“めでたい”とされるそうです。
どちらの意味でも“めでたい”気持ちを表すものですが、私は殻を脱ぐという意味を押します。
- SR400
- 2009/12/20 11:01 PM
- はじめまして。
くっくりさんのブログいつも楽しみにしています。で、今日は、「おっ、更新されてる」と読んでみたらヤな書き込みがされてますね。品性、疑ってしまう。
でも、これだけ人気があったらこんなことする輩も出てくるのですね。「通報」さんや「すっきり」さんの言われるとおり、警察に連絡されたら、と思います。
ところで、(知っておられたらごめんなさい、ですが)、神道では、国民はそれぞれの「氏」(氏族)に所属するから、「氏子」といい、氏族の「祖神」を「氏神(氏上)」といいます。まあ、あまり堅苦しく考えず、生まれ育った土地の産土神(うぶすながみ)を氏神として、折々に参拝するのが一般的です。
天皇陛下は日本国の総産土神である天照皇大神の前に、日本国民の代表(氏上)として、国と国民の穢れを祓って下さるようお願いをされます。常に国民の先頭に立って神を拝し、国民は常にその背中を見て生きる、というのが、この国です。おおげさでなく世界で唯ひとつしかない国の形。「神国日本」というのは、冷静な表現でしょう。
繰り返しになりますが、普通は神社へお参りするのは、「祓え給え清めたまえ」という「祓え詞(ことば)」の示すとおり、我が身やお願いしたい物事の「穢れ」を祓っていただき、すっかり清浄な状態になるのが目的です。清浄な状態になれば、本来の力が十分に発揮されるからでしょう。言い方を変えれば、本来の力(魂)を発動(振る)させる(魂振り)ために神前に参る、ということで、力は本来、我が身の内にある。それを八百万の神々が後押しして下さるわけです。
この頃、「勇気をもらった」「元気をもらった」という言い方をする人が増えましたが、そういうわけで、「勇気が湧いた」「元気が出てきた」というのが本然、ということです。
その伝からいうと、今回のエントリーにあるように「恵方参り」としてなら何も考えることはなかったのですが、「初詣」になってから正月三が日は、何だか個々人の様々なご利益を期待する欲望が神社の上空に渦巻いているような、、、。
[5] comment form
[7] << [9] >>