[2] 北方領土の日によせて【将兵万葉集】(1)シベリア抑留者

Comments


がる
2010/02/06 06:08 AM
いつも愛読させていただいています。今回の掲載、特にありがとうございます。

父もシベリアから昭和31年に帰国しました。ロシア語ができたため、通詞として便利であり、遅い帰国となったようです。

満州で結婚し、昭和20年7月末に娘が生まれたばかりで、父はシベリアに連れ去られました。
妻と生まれたばかりの娘は、引揚げに3年かかったそうです。
そして父がようやく帰国したとき、舞鶴に来たのは姉と弟だけでした。妻は、別の男のところに身をよせていたわけです。
父は、世捨て人になろうと思ったそうですが、まあ、捨てずに済み、縁合って再婚し、私が生まれました。

父が亡くなり、父の前妻も亡くなり、母も先年亡くなって、私は腹違いの姉とようやく会えるようになりました。

シベリア抑留のことを、いまの若い人たちはどれだけ知っているでしょうか。国民の記憶として、こんなについ最近起きたことを、忘れてはならないと思うのですが。
こがらし
2010/02/06 07:00 AM
くっくりさん、ありがとうございました。

私の祖母の弟もシベリア抑留者でしたので、子どもの頃からぼんやりと意識していましたが、決定的に興味を持ったのは、劇団四季のミュージカル『異国の丘』でした。それから関連する本を読むようになりました。

青山さんが語られた硫黄島のことと同様に忘れてはいけないことだと感じています。

北方領土の日にふさわしいエントリーをありがとうございました。
おれんじ
2010/02/06 11:34 PM
くっくりさん、貴重なご本の紹介有難うございます。

がるさんのお話も胸に迫りました。

こがらしさん、「異国の丘」と聞くと、あの有名なメロディがよみがえります。思えば私の子供の頃(昭和40年代)までは戦争を体験された方も多く、軍歌や戦前戦中の歌謡曲などもよく町に流れていたように思います。

戦争体験者の方々が一線を退かれるにつれ、戦争の記憶も忘れ去られていったように思います。とても悲しい気持ちです。
樹姫
2010/02/07 12:19 AM
私の父は戦争で満州(詳しい場所は記憶が確かではありませんが)に行っていました。日本に戻ってから母と結婚し、私達子供が産まれました。父が病で亡くなってから、戦友仲間の方のお世話で、ビデオに編集された若き日の父の軍隊生活を見ることがありました。何処かの前線基地の風景の中に、20代の独身の父が映っていて、不思議な感動を覚えたものです。父の軍人恩給は、年老いた母を支えていますが、私たち子供に話してくれた軍隊時代の話は和やかなものばかりでした。本当は辛くて話せないこともあったはずですが……。

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