3月11日に天皇皇后両陛下がなされた事

2011.05.02 Monday 03:49
くっくり


 中には「巡幸反対」を唱える共産党員もいたが、全く気にせず、等しくお言葉をかけられた。
 天皇のお帰りの際、その共産党員は御召車すれすれに顔を寄せ、叫んでいた。
 「天皇陛下、万歳!」
 大金益次郎(おおがね・ますじろう)侍従長は、その模様をこのように記している。
 「陛下の虚心な御行動の先ざきでは、我々の複雑な先入観は、常に事実として、払拭される。そこで、我々はただ日本人を見る。党派も階級も貧富も見えない。我々はただ日本人の血の叫び、魂の交流だけを感ずる。党派も貧富も階級もその障壁をなさない」】
<「昭和天皇論」第7章 昭和天皇の御巡幸/小林よしのり>

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 昭和天皇の御巡幸は、終戦直後、塗炭の苦しみにあった国民を勇気づけるとともに、戦後日本の復興の大きなエネルギー源となりました。

 今上天皇陛下の御代となり、雲仙・普賢岳の噴火、阪神・淡路大震災、三宅島噴火、新潟県中越地震、中越沖地震などさまざまな災害における、両陛下による「平成の御巡幸」とも言うべき被災地ご訪問もまた、被災された方々に大きな勇気と力を与えてきました。

 このたびの東日本大震災では、天皇陛下はビデオメッセージという形で異例の「御言葉」を発信されました。
 被災された方々はもちろん、被災を免れた地方の国民にも、「一緒に日本を立て直そう」という一致団結の精神をもたらしました。

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 5月1日放送「たかじんのそこまで言って委員会」で、京都産業大学教授の所功さんが、両陛下についてこのようなお話を紹介されましたので、文字起こしをしておきます。

【私は今の両陛下が、まさに今回の3月11日の大震災にあたって、最も早く、最も的確に行動されたということを知り、驚きました。

 その原点は何かというと、お二人とも、陛下が昭和8年、皇后様が昭和9年のお生まれで、昭和20年の8月15日に日光へ疎開しておられた皇太子様が書かれた作文があります。

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