2011.04.25 Monday 19:56
くっくり
カメラマンや通訳とともに両県で取材し、いったん東京に戻った後に、今度は一人でバスで宮城県石巻市に戻った。たった一人で飛び込んできた異国の記者を、石巻の人々は温かく迎えた。タクシー運転手は事情を知ると運賃を大幅に値引きし、無給で「臨時助手」として助けてくれた。店を再開させたばかりのコンビニ店長に「困っているタイ人に配りたい」と訴えると、「1人2個まで」というルールを破って「何個でも買っていきなさい」と言ってくれた。
21日、同市内の避難所で初めて調理が可能になり、カレーと揚げ物が料理された。被災者だけでなくタパニーさんも、それまで被災地では冷たいすしやパンばかり。湯気を上げるカレーを前に、最初は「みなさんで食べて」と遠慮したが、高齢の被災者たちは「あんたも食べなさい」と勧めてくれた。タイのカレーとは違う味だったが、日本人の優しさに触れ「こんなおいしい料理、生まれて初めて」と感激した。
「タイ人にとって日本というと近代的な大都会のイメージばかりだけれど、人々の人情はタイと同じ。困難な立場の被災者が教えてくれた」。10日間の被災地取材を、タパニーさんはそう振り返った。
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東日本大震災への支援の輪を広げようと、パキスタンの首都イスラマバードでこのほど、日本留学経験者たちが国会議事堂前に集まり、連帯のメッセージを掲げて行進した。
「日本だからこそ、この未曽有の震災から復興を果たせる」。日本のことをよく知る元留学生たちは、それぞれの思いを込めたプラカードを準備。被災者への黙とうをささげた後、「がんばれ、ニッポン」と連呼しながら国会議事堂近くを練り歩いた。
1995年から6年間、日本に留学したというアッバス・ザディさん(50)は、「留学の6年間は、私にとってかけがえのない思い出。親切にしてくれた日本の方々に恩返ししたい」と話していた。(イスラマバード 横堀裕也)
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