【東日本大震災-5】外国人から見た日本と日本人(26)

2011.04.25 Monday 19:56
くっくり



「新宿にいるホームレスは日頃使っているダンボールを困っている人々に分け与え、食べ物や水を無償で提供した企業も多い。政府の努力と国民の団結によって築かれた日本の助け合い文化は、長期間かけて培われた産物だ」と力説した貴婦奈奈さんは、「これまでも多くの地震を経験してきた日本政府は、防止策や教育に力を入れてきた。例えば建築基準法は、95年の阪神・淡路大震災を教訓に改正された。耐震性のある材料で建物を造らなければいけないのだ。ほかにも災害対策基本法があったり、大企業の工場は災害時には自動閉鎖されるなど、費用をかけて地震を研究し対策を練ってきたのだ。阪神・淡路大地震後、非常時の持ち出しバッグを準備している国民が多い、ということも聞いた」。

「日本人は団結が強く、服従心もある。そしてすべての政策をスピーディーに遂行し、態度は常に冷静」と日本人を褒め、「災難を予測することはできないので、これからは毎日を大切にしながら生きていこうと誓った」。

台湾語のブログ
http://www.wretch.cc/blog/abig99/32863388

東日本大震災:被災地のカレー、日本人の優しさの味−−タイのテレビ局記者(毎日4/2 東京夕刊)
 ◇宮城、福島を10日間取材

 【バンコク西尾英之】避難所の被災者たちからもらったカレーに日本人の温かさを知った−−。東日本大震災後の3月15日から24日まで、取材のため福島、宮城両県の被災地を訪れたタイ人女性記者、タパニー・イアスリチャイさん(33)=写真・「チャンネル3」提供=は「厳しい状況にあるのに、誰もが外国人の私に優しかった。あの人たちの故郷が一日も早く元の姿を取り戻してほしい」と被災地の人々に思いを寄せている。

 タパニーさんはタイのテレビ局「チャンネル3」の記者としてバンコクから派遣され、主に被災地に取り残されたタイ人の状況を取材した。

 日本人男性と結婚して暮らすタイ人女性たちのほとんどが、帰国せず家族と一緒に日本にとどまる決意を固めていた。「夫の母が涙を流して『おまえはタイへ帰りなさい』と言ってくれた。放射能が不安だけれど家族を残して、私だけここを離れるなんてできない」。福島第1原発から50キロほどの福島県内の農村に住むタイ人女性は、取材にそう答えた。

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