【東日本大震災-5】外国人から見た日本と日本人(26)

2011.04.25 Monday 19:56
くっくり



 木の文字は地元自治体関係者によるもので、津波で折れた松の枝などが使われたという。トス大佐は「被災者を含む日本の人々が懸命に国を復興させようとしている姿に深く感動した」と述べた。

 トス大佐は米空軍嘉手納基地(沖縄県)353特殊部隊所属。震災当日の3月11日、韓国で合同演習中だった同部隊は急きょ横田基地(東京)に戻り、被災地へ。浸水していた仙台空港を「救援物資の輸送拠点として最優先で復旧すべきだ」と判断したという。

 日米当局間で協議・調整後、同16日に大型輸送機の離着陸を可能にし、燃料や水・食料の大量輸送が本格化。以後約3週間で、米陸軍部隊など約270人が復旧作業に従事、救援物資約1140トンと燃料約5万7000リットルが仙台空港経由で被災地に搬入された。

 仙台空港の管制業務は今月1日に日本側に引き継がれ、同13日には旅客便が再開。トス大佐は「日本人の力強さは将来に希望を与えてくれる」と強調した。

※この件に関しては米空軍の公式サイトにも記事があります。また、「ARIGATO」の文字を海岸に作られたご本人がmixiで詳細な日記を書いていらっしゃいます。「ありがとう作戦」というコミュニティをやっている方とのことです。(以上、前回のコメント欄で情報を下さった「びーず」さん、ありがとうございました)

【世界のスターが応援】(1) 米歌手 シンディ・ローパーさん(産経4/9 11:39)
 東日本大震災が起きた3月11日。わたしはまさにこの日の午後、南米から空路、来日しました。羽田空港に到着して震災発生のニュースを知ったときは、本当に驚き、ショックを受けました。

 でも、その空港では別の驚きもありました。震災で飛行機がとまって、ロビーには大勢の人が取り残されたんですが、みんな礼儀正しく振る舞い、混乱はありませんでした。その後、震災報道を見ていても、被災地でパニックは起こらず、被災者たちは互いに助け合っていました。

[7] << [9] >>
comments (9)
trackbacks (3)


<< 画像で見る東日本大震災 - 希望 -
「アンカー」福島第1原発構内と所長を青山が取材 最大の問題は5・6号機 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]