2011.03.28 Monday 19:31
くっくり
「実際に、あるパラグアイ人から『飼っている肉牛1頭を日本に送り、被災者の方々に食べてもらいたい』との申し出まであった」という。
日系社会からも支援の申し出が相次ぎ、現在、パラグアイから日本への輸出品である大豆を利用し、日本の業者と協力して被災地に豆腐を届けられないか、といった知恵を絞っている。
今回の震災を外からみると、「日本のいいところと悪いところ」の両方が浮き彫りになっている、と合田さんはいう。
「混乱の中でも冷静さを失わない日本人を誇りに思う半面、原発事故への対応などをみていると、本当のことをなかなか言わない日本独特の内向きの文化をも感じる」。そうした部分を含め、日本が変わるきっかけになってくれれば、と合田さんは期待を寄せる。
ペルーの日系社会でも義援金集めが進む。日系紙「プレンサ・ニッケイ」のマヌエル比嘉編集長は「地震のニュースで映し出される日本の被害や、被災者の助け合いの姿は、ペルーの日系社会をさらに強く団結させた」と話した。
(ニューヨーク 松尾理也)
東京電力福島第1原子力発電所の放射線漏れで外国人の帰国が相次ぐ中、避難便に乗る直前に思いとどまり、被災地・宮城県石巻市へ引き返した英国人男性がいる。石巻専修大准教授のリチャード・ハルバーシュタットさん(45)。「この町の魅力は人に尽きる。友人たちと、サンマのぬたをもう一度食べたい」。18年間暮らし、「第二の故郷」となった港町で、被災者支援に全力をあげている。
1993(平成5)年に来日し、学生に英会話を教えてきた。3月11日、大学の研究室で被災。幸いけがはなかった。だが良き相談相手だった金物店の夫婦は大津波にのまれ、亡くなった。遺体が見つかった車を日本酒で清めて手を合わせ、親友の冥福を祈った。
「国外退避を手伝う」と、在日英国大使館から緊急連絡が入ったのは17日。英政府は、福島第1原発の半径80キロ以内からの退避を勧告していた。
石巻市は退避勧告の対象外だったが、大津波の被害で電気も水もない。へどろの臭いが鼻を突き、がれきが町にあふれていた。「普通の生活がしたい。原発も怖い。でも、みんなを置いて出ていくのか」。一晩中、悩んだ。周りの友人は帰国を勧めてくれた。
[7] << [9] >>
comments (19)
trackbacks (5)
<< 無能政府に失望しながらも私たちは私たちで頑張るしかない
「アンカー」原発事故で政府のズサン対応 青山繁晴×安斎育郎 >>
[0] [top]