日本統治肯定で逮捕の韓国人作家『嘘の歴史で反日に』「SAPIO」02.7.24号
2011.02.22 Tuesday 01:46
くっくり
帝国主義が植民地を獲得しようとした背景には、地下資源や砂糖、ゴムのような原料を獲得するという明確な目的があった。しかし、資源、気候、文化で日本と似たり寄ったりの朝鮮は、植民地としては最悪の地域であった。だからこそ日本は朝鮮経済を速やかに発展させ、日本経済と統合して市場規模を拡大させ、「規模の経済」を実現するという、一種の「長期投資」戦略で望まざるをえなかったのだ。
もとより朝鮮を統治下においた時点で、日本はすでに台湾を10年間統治していたので、何らかのメリットを得るために低開発状態の地域を育て上げることが容易でないことは十分に承知していたはずだ。
台湾の場合、統治の初年度である1896年だけで国家予算の11%という莫大な資金を台湾に注ぎ込まなければならなかった。その後台湾に対する補助金は少しずつ減ったが、台湾経済は赤字が続き、1905年になって初めて台湾植民地政府は自立経済を達成できたほどだ。朝鮮向けの投資はそれをさらに上回り、多いときには2000万円を超えたというが、これは日本の当時の国家予算の20%に相当する額だ。
安秉直氏は韓国では極めて稀な、日本統治を“客観的に”評価する学者だが、彼の研究によれば、朝鮮の植民地経済は1911年から38年まで年平均3.8%の成長を見せたが、当時これほど長く高成長が続いた例は稀だった。1918年から44年までの産業構造の変化を見れば、農林水産業の生産比率が80%から43%に減少し、反対に工業生産の比率は18%から41%に増えた。
韓国史学の世界的権威、ブルース・カミングス氏(シカゴ大学教授)によれば、日本の朝鮮経営は、植民地で産業化を逆行させ、農業社会に退行させた英国のインド経営と比較した場合、極めて対照的だったという。1930年代から朝鮮半島に入った興南の窒素肥料工場、水豊の水力発電所、鎮南浦の工業団地などは当時の基準からみて世界的に最高水準の施設であった。
日本が朝鮮に遺した目にみえない貢献
これら一連の投資は、日本にとって朝鮮が“植民地”ではなく、“日本の一部”とみなしていたことを表わしている。他の列強と異なり、日本は特に教育に多くの投資をしたが、さまざまな報奨を提供し、本土で最も優秀な教師を大勢朝鮮に招聘(しょうへい)して各地の学校に送った。
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