「アンカー」『市民』が主体の施政方針演説&拉致問題で大転換?
2011.01.27 Thursday 04:03
くっくり
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村西利恵
「総理は『3つの国づくりの理念』を掲げました。『平成の開国』『最小不幸社会の実現』そして『不条理をただす政治』と」
青山繁晴
「うん。まずね、施政方針演説で国づくりの理念を打ち出すのは、これは僕は断固正しいと思うんですよ。で、もちろんそれだけじゃすまなくて、この3つを、総理は出されたんですけど、これ、納得できる国民がどこまでいるかと思うんですね。というのは、ちょっと具体的に見ますとね、まずこの平成の開国なんですが、これ何か耳障りは良いようでいて、総理がおっしゃったことを見ると、これ、あの、初めから申しますが、明らかにおかしいんですよね。というのは、総理はこうおっしゃってます、演説の中で。日本はこの150年間に、まず明治の開国がありましたと。そして、そのあと敗戦の開国を成し遂げたんだと。これらについて今、第三の開国をやるんだとおっしゃってますが、まず1つめの明治の開国ですけど、これ当たり前じゃないかと思う人いるかもしれませんが、実はそれはもう過去の話なんですね。明治が開国だったっていうのは、つまり江戸時代は野蛮な鎖国だったってことを、僕も小学校の時、教わりましたよ。しかし今はこれ、右とか左とか保守・リベラル関係なく、客観的な歴史の見方として、少なくとも歴史学界で主流になってるのは、江戸時代は鎖国なんかしていないと。江戸幕府はちゃんと海外と貿易してました。たとえば東インド会社もそうだったし、貿易はしてたけども、全部、その、幕府が管理して、それから日本人が海外に行くことも全部、幕府がコントロールしてたと。それは鎖国と言うのではないと。そもそも鎖国っていう言葉自体が、江戸時代の1人の蘭学者が考えた言葉であって、正しい言葉じゃないとなってるわけですね。ということは、申し訳ないけど総理は、最新のことを勉強されてないんじゃないか、勉強不足じゃないかと思うわけです。さらにもっと客観的に見てどうもおかしいのは、戦後の開国とおっしゃってるけど、まず矛盾ありますね。明治で開国したんですよね。明治・大正・昭和っていってる間にどこかで鎖国したんですか?」
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