夫婦別姓求め初の提訴!って意味分からん!

2011.01.07 Friday 04:51
くっくり


 (てか、子供も別姓婚して同居したら表札は三つ?!)

 さらに卑近かつ細かい話で恐縮ですが、住宅地図(ゼンリン)に載る時なんかはどうなるのかな?と。
 以下、私と夫とのやりとりです。

 「狭いスペースに名字2つも入らへんよね」
 「代表者の名字だけ入れるんちゃうか?」
 「え?じゃあもう1つの名字はどうなんの?」
 「『山田他』てな感じでまとめるんや」
 「えー?うちは『山田』だけでなく『川田』もいるんだから両方書いて下さい!って揉めたりせんかな?」
 「あー、そんなん言う奴おりそうやなー。それで訴訟になるかもなー。『他』にされて精神的苦痛を受けた!とか言うて(笑)」

 ……考えすぎでしょうか?(^^ゞ


 別姓賛成派の人はよくこういうことを言われますよね。
 「強制じゃなくて選択制だからいいじゃない。何もあなたも別姓にしろって言うわけじゃないのよ。別姓にしたい人だけするんだから」

 確かに「選択制」ではありますが、それは本人だけの話であって、周囲にとっては選択の余地がない分、逆に「強制」になるのではないかと私は感じます。

 また、塚本協子さんは別姓を認めてほしい理由として、「名前を変えることは、私が私でなくなることです」とおっしゃってますね。
 別姓賛成派の中にはこのように、「アイデンティティ」に言及する人も多いようです。

 が、私ははっきり言って、そんな個人的な欲求を、それもごく少数派の欲求を満たすために、法改正までしてあげる必要が果たしてあるんでしょうか?と思ってしまうんですね。

 (アイデンティティについて言えば、「夫も子供も同じ姓なのに自分だけ違う姓で孤立」「夫の実家が嫁として認めてくれなくて孤立」ってことも十分起こり得ると思うんですが、そこまで考えてるのかな?と)

 前出の「選択的夫婦別姓の会・富山」が紹介されているページで塚本協子さんは、「一人一人が生きやすい社会にするために結婚時に同姓・別姓が選択できる民法の改正を求めています」と主張しておられますが、選択的夫婦別姓を認めることで、本当に「一人一人が生きやすい社会」になるんでしょうか?

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