「たけしの教科書に載らない日本人の謎」仏教特集

2011.01.04 Tuesday 05:57
くっくり



 一方、最澄は視察目的の短期留学ということで、世界的に主流だった天台宗の奥義をマスターしたものの、1年足らずで帰国。それゆえ密教に関しては不完全なままだった。もっと学びたかったのだが。

 密教というものが大きな力を持っているという情報が日本にも入ってきて、しかも日本では桓武天皇から嵯峨天皇に変わっていた。「天台宗もいいが今の流行は密教だ」と。
 嵯峨天皇は、密教をマスターした空海に仏教で国家を守る役割を任せることにした。エリート最澄についに並んだのである。

 最澄はプライドを捨て、7歳下、しかも格下の空海に弟子入り。
 元来努力型の秀才の最澄は真摯に学び、空海もそんな姿に感銘して、お互い尊敬し合う仲になった。

 そもそも、密教とはどんな教え?
 大日如来と一体化することを目指したものだが、それまでの仏教が経典によって広く教えを伝えようとしたのに対し、密教は師匠から弟子へ口伝えで奥義を教える。

 そんな密教は最近の仏像ブームに一役買っている。貢献したのは曼陀羅の存在。言葉で表すのが難しい密教の世界観を見た目で示すもの。

 曼陀羅は何を表しているのか?
 もともと原点は、見えない世界の仏を見えるようにして我々に教えてくれるという発想。仏のグループ分けは曼陀羅によって初めて日本人にもたらされた考え方。
 喩えるなら、たけし軍団の相関図のようなもの?人間関係が一目瞭然となる。

 曼陀羅は、見た目で表すことで誰にでも分かりやすく密教の世界観を教えた。こうして庶民の拝む対象が明確になり、仏像は平安時代に一大ブームになった。
 日本に多くの仏像が残っているのは、空海と最澄が伝えた曼陀羅が大きく影響。

(謎3)仲の良かった二人が決別した理由とは?

 些細なことがきっかけ。密教の経典の貸し借りで仲違いしたのだ。密教の秘法を学んでいない最澄の申し出を空海が拒絶したためだった。
 さらにその後、空海のカリスマに魅せられた最澄の弟子が空海に弟子入りしてしまった。
 これらを機に二人の関係は断絶したと言われている。

 密教というのは経典を写すとか聞くだけとか頭の中で考えるだけでなく、自分でやってみるもの。最澄は忙しくてそれをやる時間がなかった。だから最澄はその時点で天台宗に密教的な要素を含めるのはやめようと。

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