「たけしの教科書に載らない日本人の謎」仏教特集
2011.01.04 Tuesday 05:57
くっくり
・ずぼら
「坊主」の逆さ言葉。江戸時代、戦乱が治まり世の中が安定すると、戒律を守らずお酒を飲んだり女性に手を出すだらしないお坊さんが現れるように。そんな坊主らを人々は「ずぼう等(ずぼうら)」と呼ぶようになり、やがてそれが短く「ずぼら」に変化。
・ごたごた
あるお坊さんの名前に由来。町民らがややこしい話の代名詞に使った「ごったん和尚」。鎌倉時代に実在した「兀庵普寧(ごったんふねい)」という建長寺の住職。その説教は難解でややこしかった。それでややこしい話を「ごったんごったんしている」と言うようになり、それがやがて「ごたごた」に。
・もっけの幸い
思いもよらない幸いという意味だが、この「もっけ」とは「もののけ」。古代より日本人は怨霊・もののけを恐れてきた。これらの退治に有効と言われたのが外国から渡ってきた仏教。だから人々は仏教をありがたがった。つまり仏教側からすれば、日本に怨霊やもののけがあったことが幸いして全国に教えを広めることができた、「もののけも幸いだった」ということ。
・果報は寝て待て
良いことは自然にやってくるという意味でよく使われている。「果報」は仏教用語で、過去の行いの善悪に対して、必ずそれに応じた結果があるという意味の言葉だった。つまり因果応報。だから過去に良いことをすれば良い結果に、悪いことをすれば悪い結果に。本来は「果報は練って待て」ということで、努力なくして良い結果は得られないという意味の言葉。
・挨拶
師匠と弟子の問答を禅宗では「挨拶」という。挨=押す、拶=迫るという意味がある。挨拶とは本来、押したり迫ったりしながら互いの悟りが深いか浅いかを試すという意味。それが今では日常的に礼を交わす言葉として使われるようになった。
・ごちそう
漢字で書くと「ご馳走」。走るという意味の言葉が使われている。韋駄天のようなスピードで料理人が新鮮な食料をあちこちから集め、走り回って準備してくれた大変ありがたいものという深い教えが込められている。
・ぜんざい
名付け親は一休さん。ある日、1番目の弟子が小豆を甘く炊いた物を出すと、一休さんは喜んで食べた。2番目の弟子が焼いた餅を出したところ、これも一休さんは喜んで食べた。そこで3番目の弟子が小豆を甘く炊いた物に焼いた餅を入れて出したところ、一休さんは大絶賛、「善き哉」と叫んだ。この「善き哉」は仏が弟子を賞賛する時に使われる仏教用語。それを一休さんが使ったことで、「善哉(ぜんざい)」という言葉になって食べ物の名前になったとか。
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