「アンカー」菅首相硫黄島訪問の真相と遺骨収容の厳しい現実
2010.12.23 Thursday 04:04
くっくり
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青山繁晴
「そしてもうひとつ、当時言えなかったことを言いますとね、さっき飛行機からこうやって僕、降りるところ、あの、動作映ってたでしょ。あの動作おかしいと思った人、ひょっとしているんじゃないでしょうか。あれ降りられなかったんですよ。あの、ステップ2段しかないけど、降りたら僕のこの、汚い足でですよ、僕らの先輩方の顔とか胸とか腰とか押しつけに、いや、踏みつけるのと同じですから。それ実は、あの、僕はできなかったんですが、パイロットに促されてようやく降りて、そしてこれは関テレの武士の情けなのか、僕はあのあと土下座をして、滑走路に乗りまして、その下の人々に、申し訳ございません、僕たちは60年間も忘れていたけれども、これからずっと命ある限りは訴え続けますからと言って、硫黄島の中に入っていったっていうのが本当のことなんですね。で、皆さん、その上でもう一度あの、さっきの地図を見ていただけますか。もうここに出てますよね」
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青山繁晴
「で、これはですね、この滑走路がどうして問題かというとですよ、さっき言いました硫黄島の戦いの最中に、アメリカ軍がこの滑走路を造ったんです。正確に言うと、帝国海軍がもともと造ってた滑走路を拡張したんですよ、爆撃用にね、アメリカ軍が。で、さっき僕は、その、4年前のVTRの、あの、放送の中では、日本兵の亡骸を何も処理しないでって申しましたが、正確に言うと、弔うことをせずに、とにかくその、邪魔になるから埋めたりはしたようです。だからその、この下で盛り土の部分があったりはするようなんですが、それが、アメリカの問題だけじゃなくてですね、1968年に、この硫黄島がアメリカから日本に戻った時に、その当時の私たちの選んだ政府と、私たちが育んだ自衛隊が何をしたかというと、この滑走路のまさしくその、西側の一部だけをはがして、その一部だけの遺骨だけは日本に帰したんですよ。だから亡くなった2万人以上の、2万2000人とも言われる英霊の中で、わずか8700人ぐらいしか帰れなかった。他にも遺骨はたくさんいらっしゃいますよ。でも滑走路の下にも、その、多くいらっしゃるわけですね。で、その、今回の最大の問題はその、滑走路をどうするかということで、実はあの4年前の『アンカー』の放送のあと、いろんな手紙やメールをいただいたんですけど、その中には工事関係者、その1968年の工事に携わった方からも何と手紙をいただいて」
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