外国人から見た日本と日本人(21)

2010.11.20 Saturday 02:58
くっくり


■崔基鎬(チェ・ケイホ)=韓国人。1923年(大正12年)生まれ。巣鴨高校卒。韓国・東国大学大学院経営科、ソウル大学付属司法大学院特殊法科課程修了。明知大学助教授、中央大学、東国大学経営大学院教授を経て、加耶大学客員教授。
「SAPIO」2002年9月25日号【1300年前、中国の属国に成り下がった「新羅」から“韓国病”の悲劇が始まった】より

 19世紀後半の西欧列強の脅威に何故日本は対抗できて、朝鮮は対抗できなかったのか。私はその直前の李朝500年と徳川300年にその差がついたのだと確信する。また無私なる天皇家が国家の頂点に立つことで安全弁の役割を果たし熾烈な権力闘争が起こらなかったことも幸いしていると思う。

 繰り返しになるが、李朝518年間、中国に隷属しながら農民には苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)を極め、住民のための社会施設を整備することなく逆に仏教などを破壊しつくした。このような悪政を反省し、いまのインフラ整備、近代工業化が日本統治時代に行なわれたものだという真実を国史教科書に書き込まない限り韓国の歴史回復は有り得ない。

■マハティール・ビン・モハマド=マレーシア人。1925年(大正14年)生まれ。エドワード7世医科大学卒。在学中の1946年、統一マレー国民組織(UMNO)の発足に携わり政治活動を開始。1981年から2003年10月まで首相在任。欧米諸国ではなく、日本の経済成長を見習おうというルックイースト政策をはじめ、長期に及ぶ強力なリーダーシップにより、マレーシアの国力を飛躍的に増大させた。来日が50回を超える親日派だが、日本らしさを失いつつある最近の日本への批判も忘れない。
「立ち上がれ日本人」2003年発行(新潮新書)より

 発展途上国であるマレーシアは、日本から多くのことを学びました。
 首相に就任した1981年、私は「ルック・イースト政策(東方政策)」を国策として採用しました。これは第二次世界大戦で焼け野原となった日本が、たちまちのうちに復興する様から学ぼうとした政策です。

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