2010.11.20 Saturday 02:58
くっくり
日本人の考えでは、木や花の多くは美徳の象徴である。例えば、竹は優しさの象徴とされているし、雪が降っても雄々しく花を咲かせようとする強靭な小さな梅の木は、堅固な信念を貫こうとする悲壮な心を表すといわれている。まるで、どの木もどの花もその心を語っているかのようだった。西洋の花の展示会と日本のそれとは、確かに書き表せないような相違がある。
「朝日の中の黒鳥」(芳賀徹・訳)より
大正11年から翌年にかけて、日光中禅寺湖畔で日本人の学生に向かって行った日本文化論、日仏比較文化論の非常に興味深い講演
幾百年の翳りのこめるところで、木の柄杓から冷い水を手にそそぐ。おお、その身にしむ冷たさ。私のいのちはあらたまる。そして閉ざされた扉のむこうに、鐘の音がゆるやかに熟れてゆき、蝋燭が一本燃えるのをじっとうかがう。あちらの木々の葉の深いしげみのなかから、間をおいて山鳩の声がきこえる。その声はとこしえに教えを説いてながれる滝の鳴動にこたえている。
〈中略〉ここにいたってはじめて私にはわかりました。——人生に対するとくに日本的な態度、それは、フランス語にはこのような感情を表現する語彙があまり沢山なく、他によい言葉がないので、私は恭敬とか、尊崇とか呼ぼうと思いますが、理知には到達しえぬ優越者をすなおに受けいれる態度であり、私たちをとりまく神秘の前で私たち一個人の存在を小さくおしちぢめてしまうことであり、私たちのまわりになにかが臨在していて、それが儀礼と慎重な心づかいとを要求していると感ずることなのだと——。このことが私にはわかったのです。日本がカミ(神)の国と呼ばれてきたのもゆえなきことではありません。いやこの伝統的な定義こそ、今日なお、みなさんのお国について下されたいちばん正しい、いちばん完全な定義であると私には思われます。
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