外国人から見た日本と日本人(21)

2010.11.20 Saturday 02:58
くっくり


 
■ドン・ロドリゴ=スペイン人。スペイン領フィリピンの臨時総督。1609年(慶長14年)、当時スペイン領だったメキシコへの帰国途中、乗船していたサン・フランシスコ号が暴風雨に遭い、現在の千葉県御宿町の沖で難破。後に駿府城で徳川家康に謁見。
「慶長遺欧使節」より
ドン・ロドリゴの日本観について
 
 皇帝(家康)は世界の裕福な君主の一人で、その宮殿(駿府城)に蔵する金銀は数千万の価ありと伝えられ、諸都市は人口が多く清潔で秩序正しく、ヨーロッパにおいてもそれと比較すべきものを見出すことは困難である。

 江戸の市政はローマの政治と競うことができ、街路は幅広く長い直線でスペインに優り、何人も踏んだことがないほど清潔である。そこのパンは世界中で最良といっても過言ではない。風土はスペインに似ており、米、麦が多く、狩猟・漁獲物など欠けるものがなく、すべてスペインに優りその量も多い。銀の鉱脈が多く、日本人は銀の精錬技術に熟していないにもかかわらず驚くべきほど産出する。(日本国内で)採取する金もまたその質がひじょうに良く、それで貨幣を造っている。

〈中略〉もしこの野蛮人の間に、(我らの主なる)神が欠けておらず、また、(この国が)我らの国王陛下に従っているならば、私は故郷を捨ててもこの地(日本)を選びたい。

※サン・フランシスコ号難破事件では約50名(56名とも)が溺死し、370人は浮遊物につかまり助かりました。衣服や食料を地元住民から惜しみなく与えられ、飢えをしのぐことができたそうです。御宿の海岸にはこの事件の記念碑が建てられ、日本とメキシコ友好の碑となっており、エチェベリア・メキシコ大統領もここを訪れました。

■エセル・ハワード=イギリス人。1865年(慶応元年)生まれ。1895年(明治28年)ドイツ皇帝のウイルヘルム二世の皇太子と弟妹の英語の家庭教師となる。1901年(明治34年)来日し島津家へ入り、30代当主・忠重公と4人の弟たちの家庭教師を1908年(明治41年)まで務めた。
「明治日本見聞録 英国家庭教師婦人の回想」(1918年出版)より

 花は日本人にとって、人間のことと同じくらい重要なことらしく、それぞれの地方でしばしば行なわれる催しは大変な人気であった。花の季節になると、大勢の群集が催しの場所へ集まってきた。人々が桜の花を自慢するのも当然で、満開のときの花の豊かなことは驚くばかりであるが、一方、梅の花も多くの人に賞揚されている。しかし、花を咲かすためにすべてが犠牲にされるので、実(み)はあまりよいとはいえない。日本をそれで有名にしているすばらしい花をつくることに、栽培の重点がおかれている傾向がある。菊の花は、日本人の生活の中でいろいろな事柄と関連があり、皇室の御紋章にも使われているくらいだが、おそらくたくさんの花の中でも一番人気があるのではないか。つつじや菖蒲も、それを見に大勢の群集が集まるくらいこれを好む人が多い。

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