尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ
2010.11.16 Tuesday 01:39
くっくり
(p.165-167)
<私の感想> 日本も中国(中共)に対してたくさんの支援をしてきましたが、まさに「感謝はともかく、まさか『しっぺ返し』されるとは」になってますよね(T^T)
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【軍艦を盾に賠償金を取った田村総領事】
危うく「閘北の戦い」(引用者注:第1次上海事変)が福州でも起きそうになった。1932年の4月まで私は上海勤務だったので、事件当時私は福州にはいなかったが、現地に出向いた時、事件を誰もが鮮やかに覚えており、詳細を知ることができた。ことの顛末はこうである。中国全土と同じで、福州でも略奪目的の学生秘密結社がいくつも存在していて日本人も被害に遭っていた。ある日本人教師夫妻が標的にされ「殺す」と脅されていた。脅された教師には何の咎もなかった。ただ、家が中国人の家の近くにあり、警備が十分でないのでカモにされたのである。日本人子女の先生だから、中国人と接触し挑発することはない。日本総領事は、ばかばかしいことではあるが、主権国家に対する礼儀を重んじ、福州当局やら警察やらに状況を説明し、警備を要請した。日本側でできるのではあるが、そうすると主権国家間の慣行に反すると判断したのである。
要請を受けた中国側は教師宅の前に中国兵を配置した。この中国兵は、数日間は交代で24時間警備に当たった。ところがある夜、何の前触れもなく、消えた。説明も何もなく突然いなくなったのである。策を講じるまもなく、夫妻は襲われ、殺されてしまった。信頼させておいて寝首を掻く中国の軍隊、警察のいつものやり口である。当局が秘密結社と組み、殺害させたのではないとしても、ぐるになって襲撃の時に警備を引き上げさせたとしか思えない。
日本人の怒りは頂点に達した。田村総領事は中国当局役人を呼び、こう述べた。「非難するつもりはないが、双方の同意に基づいた警備に落ち度があったから今回の事件が起きたのである。この重大な過失に対し、ご遺族に5万ドル賠償願いたい」。
対する中国側は言を左右してまともな返事をしない。業を煮やした田村総領事が、「よろしい。これ以上申し上げることはない。後はそちらのご判断しだいである。一言申し添えるが、当方はすでにことの詳細を海軍に打電し、軍艦数隻がこちらに向かっている。おわかりかな。熟慮のほど、重ねてお願い申し上げる」と席を立とうとすると、中国側は「艦砲射撃を食らっては職も失う」と思ったのか、「局に持ち帰って相談してみます」と持ちかけた。「5万ドル耳を揃えて持ってくるまでは面会無用」と席を立った。徹夜で相談した中国側は、明け方になってようやく5万ドルを現金で持ってきた。直後、日本の軍艦が到着した。艦長たちは事が収まったと聞いてがっかりしたに違いない。これは第一次上海事変の一月前のことであった。
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