尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ
2010.11.16 Tuesday 01:39
くっくり
【学生に焼き討ち、略奪されるミッションスクール】
我々には何かにつけ「お世話になっています」という気持ちがあるのだが、中国人にはこういうことは全くない。宣教活動が失敗する一因はこのあたりにある。このままでは、いずれアメリカ国民が実態を知り、支援者は中国を見切り、援助の手を他に向けるようになる。そうなれば布教活動は大打撃を受けることになる。支援者は「感謝されたくて」支援をしているのではない。何がしかの役に立つと信じればこそ支援しているのである。感謝はともかく、まさか「しっぺ返し」されるとは誰も思っていない。こういうささやかな願いを無残にも踏みにじるのが中国人である。
代表例を挙げよう。慈善団体が援助する学校で、外人教師は交代して夜中に教室と宿舎の見回りをしている。「中国人学生の放火から校舎を守るため」である。中国人学生とは何者か。宣教師が救ってやった者ではないか。奴隷同様の境遇から救い、将来のため教育を受けさせ、高い寮にまで入れた子ではないか。こういう子が夜の夜中に寮を抜け出し、自分が学ぶ寮や教室に火を放ち、「くたばれ、帝国主義のヤンキー野郎」と叫ぶのである。イギリス人も同じ扱いをされている。福州では去年、貴重な校舎を3ヶ月で3つも失った。
〈中略〉それにしても、中国人は次から次へと試練を与えてくれるものだ。焼き討ちぐらいですむならまだよい。何百人も殺されているのであるから。
めったにない話だと思われるかもしれないが、そうではないのである。嘘だと思われるなら公平な具体的数字を紹介しよう。例えば『チャイナ・イヤーブック』は1921年から具体的に報告している。またK・S・ラトーレットの『中国宣教師の歴史』にも興味深い事実が紹介されている。ただ、これにはこのところ何かと話題になる国民党の活動報告が不十分ではあるが。
私の知るところでは、1927年国民党が政権を握り、裏で排外政策を採って以来、略奪、放火などの暴力事件を含む学生暴動が起きないアメリカン・ミッションスクールは一つとしてない。国民党政権になった年、東部だけでも108校あったミッションスクールのうち、45校が数年間閉校となっている。
アメリカが出資するヤリ大学は、宗教色がなく、幅広い教養科目、専門課程を擁する社会福祉大学だが、ここもほぼ2年間閉鎖せざるを得なくなった。「うちの学生で兵隊になって1927年の略奪行為に加わった者はいない」とスポンサーが自慢していた大学である。汕頭では学生と中国人教職員が混乱に乗じて校舎を占拠し外国人職員を追い出した。普段は愛嬌を振りまく中国人が、好機到来と見るや豹変する一例である。
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