尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ
2010.11.16 Tuesday 01:39
くっくり
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【他人の土地に塀を建てて所有権を主張】
福清*1の近くのミッションスクールの話である。私もこの事件には随分悩まされた。このミッションスクールは校舎近くに空き地を持っていた。この空き地の近くにある中国人学校の偉い人たちが何人かで来校してこう言った。「お宅はあの空き地をお使いになられていないご様子ですが、どうでしょうか、お宅で使うまで当方に貸してもらえないでしょうか?」と。
校長は同意したが、これが災難の始まりとは知る由もなかった。相手は中国人である。抜け目のない外国人ならそうたやすく返事はしなかったのだが、空き地は中国人に貸し出された。「必要となったら無条件でいつでもお返しします」という条件付きであった。ところが、この空き地を校庭として使い始めると、周りに塀を建て出した。中国では「塀を建てる」とは、「所有権を主張する」ことなのである。これを見たミッションスクールの校長は心配して直ちに抗議した。が、何の効果もなく一日一日と、塀は高くなっていった。そればかりか、抗議をするミッションスクール関係者に、中国人学校の子供たちまで石を投げかける始末である。地元の警察に頼んでも何にもしてくれない(アメリカの慈善団体から大きな利益を得ている地域でさえも、住民は排外的である)。もし文明国家でこのようなことが起こったら、皆で一斉に押し出して塀を撤去するところである。ところが中国では、そうしたら、何をされるかわからない。暴動にまではならなくても、放火ぐらいは覚悟しなくてはならない。それ以上に宣教師というのは神の子である。たとえ中国人が神の慈悲にすがることを忘れ、己の怒りを爆発させたとしても、直接的行動には出られないのである。
さて、ミッション側の抗議をよそに、中国人学校は塀を完成させ、堂々とその所有権を主張した。現地解決は不能となり、福州のアメリカ領事に持ち込まれ、そこで「規定に従って公明正大な調査を望む」旨の要望書が、いつものように何度も出された。それでも何の変化もなく塀は手付かずであった。アメリカ政府と連絡をして、福建政府へ強硬な要望書が提出された。そこで中国側はどうしたか。長文を認め、怒りを露わにするのが常であるのに、今回は簡潔明瞭なメモ程度のものを北京のアメリカ大使に送った。というのも、ちょうどその頃、北京政府はアメリカと友好関係を結び、対日戦争の援助を画策していた。福建も、北京側に立ち、それ相応の分け前を手に入れ、抗争相手を倒そうとの目論見があったのである。
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